厳しいのは食糧事情だけではなく
「たんぽぽ にがー…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p116)
第7回で気遣った筈のたんぽぽが早くも食卓に並んでいる。食糧事情の厳しさを示唆している。
「すぎな は軽くゆで 水に晒して刻む」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p114)
甘藷を蒸した鍋とお湯を再利用している。この後の手順も火口を順序良く使うなど、限られた時間と燃料を有効利用する、すずの手際の良さを描いている。
いわしの干物は、義父母各1、義父の翌日弁当に1、子夫婦各1/2
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p116)
貴重なタンパク源だが、4等分ではなく、家長が優先されるのだ。ここにも家父長制の一端が描かれている。
決して腹いせでは…
「径子らが 居らんと 静かなねえ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p115)
径子と晴美が黒村家に戻っている(戻る時の様子は次々回の小松菜の回で描かれる。次に北條家に来るときには離縁している)。
すずは、径子滞在中は料理をあまり任されなかったと推定されることから、径子が居なくなったので張り切って刈谷に調理法を教わっていたのかもしれない。
右下のコマで刈谷が摘んだ野草をすずに見せている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p113)
ので、刈谷が実践(しようと)している調理法をすずに教えているのであり、天秤棒で殴られた腹いせに楠公飯を教えたわけではない。…筈。
径子と晴美が北條家を一旦去り、(離縁して)また戻ってきたのはいつ頃か
「御休みなさい」「何!? / すぐ戻る わよ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p118)
大和は4月22日に呉を出撃し、6月20日に初めて主砲を発射(対空砲弾)した後、6月24日に戻っている。径子も同じような日程で北條家を出た後、また戻ってきている(主砲を発射する代わりに離縁してきた…)。
「御休みなさい」と言われて径子が反応しているのは、主要登場人物の出番が「御休み」な連載回でストーリーとは関係なく顔を出すという漫画の定番の手法(主砲)だろうか。
- 更新履歴
- 2022/02/26 – v1.0
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