硯と墨と筆と
上段のコマ、すずは(縁側ではなく)板の間(書斎)にいて、晴美は仏壇に駆け寄っている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p105)
晴美だけが「第5回(19年3月)」ですずが径子に追い出されそうになっていると正確に認識していて、そのせいでハゲたのだと思い、何とかしたかったのだろう。
仏壇には過去帳があるはずだが、それとあわせて硯や筆がしまわれている(で、晴美はそれを知っている)のだろうか。仏壇の扉には鍵がかけられていて、晴美は開けることができず、径子にねだらざるをえなかったということか。
- なお、晴美がすずのハゲを何とかしようと親切(?)にするのは、勿論前々回「第5回(19年3月)」で初対面のすずに親切にしてもらったからだ。
- 彼女の母親の径子は、「第27回(20年3月)」ですずに荷物持ちをさせたお礼に「第28回(20年4月)」の花見ではすずの代わりにお重を持っている。
- そして径子の母親のサンは、「第9回(19年5月)」ですずが親切にしてくれたりしたことも背景に「第13回(19年8月)」ではすずの失敗にも関わらず虎の子のへそくりを差し出している。
- 母 – 娘 – 孫娘と三代にわたって義理堅いのである。
- 径子も、単に自由奔放というわけではないのだ。当然のことながら。
「そこら中まっ黒に するでしょうが あんたは」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p112)
墨をせがむ晴美を径子が叱るが、後ほど自分たちで家を墨で塗る羽目になる(「第29回(20年4月)」下巻p8)「敵機の標的にならぬやう 白壁は黒塗りする」)。
回覧板で何を想う?
「鉄道は戦ふ足だ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p106)
回覧板の順序は、知多→堂本→北條→刈谷。すずは描かれている軍人を見て水原哲を思い出していたのだろうか。
「回覧板 でーす」「はあい」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p106)
回覧板に返事をする刈谷。「第42回 晴れそめの径(20年11月)」下巻p114)で刈谷が回覧板に返事しないことの異様さへの伏線。
会話をしているようでいて、実は互いに違うことを言っているすずと周作
「広島が恋しう なったんか」「なっと らんです」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p108)
広島ではない。恋しくなるとしたら水原哲。もちろん「第6回(19年3月)」ですみに指摘されたことがきっかけ。だから
「遠くから 来とってかも 知れんし…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p108)
は「(黄色のたんぽぽだけでなく、水原哲が)遠くから 来とってかも 知れんし…」というすずの期待そのものである。
しかも、「第21回(19年12月)」には(すずの期待通り)本当に水原哲が「遠くから来」るのだ。
- ただその「水原哲の訪問意図」は、すずの期待からはあまりにもかけ離れていたのだが(詳細は「第21回(19年12月)」にて)。
「めじろが 飛んどるで」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p109)
筆箱の絵が「梅に鶯」ではなく「梅にメジロ」だという事に気づいて貰うための仕掛け。(「第3回(19年2月)」も参照されたし)
「『お帰り』言うたってくれ すずさん」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p111)
水原哲が乗船しているかもしれない大和(※p107)で周作に向かって飛んでいったように見えたたんぽぽの綿毛が、大和に向かっていく)に、思わず見入るすず(で、そのまま落下する)。
ところで周作は里帰りから戻ったすずに「お帰り」と言ったのだろうか?
「バレてましたか」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p112)
- 周作は
- 「ハゲを」気にしよったらひどうなるで…と言っているのだが
- すずは
- 「水原哲を」気にしよったらハゲ…たのがバレてましたか…ねと返しているのだ。
(この時点で周作は水原哲の存在を知らないので、かみ合わないのも無理はないが)
「雪風」はこの後「大和」「摩耶」を護衛しリンガ泊地に向かう
「巡洋艦 じゃ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p108)
p109)「ありゃ愛宕… 摩耶かのう?」はどちらも重巡(重巡洋艦)であるが、
- 「第11回(19年7月)」の晴美の台詞である、p140)「重巡じゃ」に物語上重要な仕掛けが施されている為
ここでは敢えて重巡でなく「巡洋艦」と呼ばせ、それによって(何故か呼び方が違うことから)晴美の台詞に意味がありそうだと読者に気づかせる効果を出している。
そして後に大和の最期にも立ち会うことになる、もう一隻の駆逐艦「雪風」は、水木しげるが1946(昭和21)年3月に復員した際に乗船した船でもある。水木しげるは『コミック昭和史』最終巻である第8巻の最後のエピソード「戦争中の恩が返ってきてうれしい」の冒頭で
「昭和から 『平成』になって なぜか ぼくの心も 平静に なった」
水木しげる(1994)『コミック昭和史 第8巻』講談社. p248)
と書き記している。
「それは あの戦争への やり場のない いかりから 解放された ような気に なったからで あろう」
水木しげる(1994)『コミック昭和史 第8巻』講談社. p248)
と彼は続けている。彼の自伝とも言えるこの『コミック昭和史』を読めば、彼のその思いは痛い程伝わってくる。しかし、だ。それは彼にとっては全くその通りだとしても、『この世界の片隅に』の読者にとってはどうなのだろうか。
- 「平成」は「平静」なのだろうか。
- 「平静」を装おうとして、何かを見ないようにしてはいないだろうか。
『この世界の片隅に』最終回について説明した「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」の最後の部分では、作者が仕掛けたその疑問の答えに触れることとしたい。
- 更新履歴
- 2022/02/25 – v1.0
- 2022/02/26 – v1.0.1(板の間が書斎であることを明記)
- 2022/05/24 – v1.1(たんぽぽの綿毛についての記載他を修正)
- 2023/03/13 – v1.1.1(関係する投稿へのリンク、「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/07/03 – v1.1.2(「第3回(19年2月)」へのリンクを追加)
- 2023/09/12 – v1.1.3(「水原哲の訪問意図」が、すずの期待からかけ離れていた旨追記)
- 2023/09/14 – v1.2( “「雪風」はこの後「大和」「摩耶」を護衛しリンガ泊地に向かう” を追記)
- 2024/05/21 – v1.3(晴美がすずのハゲを何とかしようとした背景と、母 – 娘 – 孫娘と三代にわたって義理堅い旨を追記)
- 2024/10/28 – v1.3.1( ‘「広島が恋しう なったんか」「なっと らんです」’ の読み易さを改善)
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