柱の役割
「ああ違う それそれ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p138)
すぐ下の「ぐゑ〜」のコマでは柱にいくつもの刻みが描かれており、周作が意識的に、黒村家の背比べが刻まれた柱を選んだ事が判る。
「ぐゑ〜」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p138)
天秤棒では隣組の3人をなぎ倒したが、周作にはさらに大きくて重い柱での一撃。
- これを(大切な思い出の柱だと注目していた)径子が(それまでも話には聞いていた筈のすずの攻撃力だが、実際に)目撃したため
- 「第18回(19年10月)」で晴美に、竹やりを作るすずに近寄らないよう指示した。
その結果
- すずは晴美に気をとられることなく考えを巡らせることが出来たので
周作とリンの関係に気づくことができた。
防空壕の役割
防空壕がどの程度役に立つのかというと勿論それはその構造によるのであり
- 「第21回(19年12月)」ですずが、中巻p76)「軍優先じゃけえね」と言っているように最優先で物資を確保できた軍部が軍事用途で建造した防空壕は、鉄筋コンクリートなどで頑丈に出来ていたが
- 民間人の避難先は住人達に丸投げで、物資も不足しているので、この回でも描かれているような、ただ穴を掘って、それだとすぐ崩れてしまうので廃材の柱などをつっかえ棒のようにしただけのものが殆どだった。
- 爆弾が直撃すればほぼ間違いなく崩れて生き埋めになり死んでしまうし
- 当然大規模なものは作れず狭くて逃げ道もないので、焼夷弾で周囲に火災が発生すれば酸素が欠乏して窒息(あるいは一酸化炭素など有毒ガス中毒)死してしまうものだった。
- 「第34回(20年7月)」ではその状況を
- 下巻p52)「壕へ入らんと 逃げて命拾い したのう」
- 下巻p53)「床下へ しもうとった いもがええ具合に 焼けてのう」
- と間接的に描いている(詳細は「第34回(20年7月)」にて説明予定)。
- 「第34回(20年7月)」ではその状況を
それでも(防空壕が)無いよりマシかというと、必ずしもそうでもなかった。
大きな声ではいえないけれど、どこかの防空壕へ女の人が引っぱりこまれて殺されていたとか、いう話は、町の人々の口から口へ伝えられた。でも新聞にはそんなことはこれっぽっちものっていない。
田辺聖子(2009)『欲しがりません勝つまでは』ポプラ文庫. p226)
- 女性達にとっては危険な場所を自ら作って増やすようなものだった。
- しかもその危険は「無かったこと」にされていたようだ…
周作への一撃「ぐゑ~」は、そんな社会へのせめてもの意趣返しといったところだろうか。
家父長制下の男性達の位置づけと周作、円太郎の性格描写
右下のコマで防空壕を掘り終えた皆の食事
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p138)
仮設テーブルの周りは男性達とお手伝いにきた隣組の女性達。北條家の女性達はその外側。
刈谷の吹き出しで隠されているのが刈谷の息子。このコマで唯一顔が隠されている。但し「第29回(20年4月)」下巻p6)では凜々しい横顔が描かれている。
「ありゃ周作 変につついて 壊さんのよ!
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p139)
サンが懸念したとおり、「第40回(20年9月)」の枕崎台風の時には「変につついて」さらに穴を開けてしまう周作。p142)でも描かれている周作のガサツさ。
「…… 軍艦お好き なんですね」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p142)
「第7回(19年4月)」で大和他を教えて貰っていたことに加え、さらに晴美にまで教え込んでいた(と思った)ので、周作は相当好きなのだとすずは誤解した。
「やります やります」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p142)
すずが周作の顔を拭いた時の周作の反応は穏やかなのに、すずが周作に拭かれた時の反応は、手だけでなく足まで振り上げるもので、周作の拭き方が相当乱暴だったことが見てとれる。
また、すずは手拭いの汚れていない所を選んで周作の顔を拭いているのに、周作は胸元を拭ったそのままですずの顔を拭いており、すずの細やかさと周作のガサツさも描かれている。周作がガサツに描かれているのは、リンにあげる筈だった茶碗を納屋に放置していた事を自然に見せるためだろうか。
「ヨシ! 小降りに なったの」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p144)
実はp142)右上のコマで、防空壕の入口ひさしからの雫が少しに描かれていることから、その時点で既に小降りになっていたと推定できる(つまり本当は小降りになって暫く経過している)。
「………… ………… ………まあ 夫婦なん じゃけえ 仲ええは 結構な ことで」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p144)
黙っていられない円太郎の性格描写は、止まらない科学話の描写にも通じるものがある。
後ろめたさを感じている径子
「うん お船見よった」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p140)
寂しそうな表情の晴美。
そもそもなぜ晴美は皆から離れていたのか?
晴美にとって軍艦は、軍艦好きの久夫との繋がりそのもの。周作が防空壕の入口に立てた背比べの柱を見て久夫を思い出し、軍艦を見たくなったのだろうか。
ただし読者はこのコマ迄は、離縁した径子の夫(晴美の父)と会えなくてさみしいのだと思う筈。
右上のコマで柱に横の筋が
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p142)
p139)で径子が見ていた柱のキズ。
久夫の1年前(18年5月)の背丈と、その1年後(19年5月)の晴美の背丈がほぼ同じ
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p143)
つまり1歳違いと推定できる。読者はようやくヒサオという晴美と1歳違いの兄の存在を知らされる。でもキンヤ(径子の夫で晴美の父)についてはまだなので、最後のオチを正確には理解できない。
「ええ ええ ……… / 夫婦 仲良うて 結構な じゃない / 二組 揃うて」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p144)
「第27回(20年3月)」中巻p125)でも兄の久夫が居ないことを「学校行きとうない」理由に挙げる晴美である。久夫と離れ離れになることを望む筈がない。しかし晴美は径子の離縁に付き合う形で黒村家を去った。恐らく文句一つ言わずに。
「第37回(20年8月)」下巻p74)で「周りの言いなりに 知らん家へヨメに来て / 言いなりに 働いて」と、すずが言いなりであることを戒める径子である。晴美が文句一つ言わず自分の為に「言いなりに」なってくれている事に後ろめたさを感じていない筈がない。
そして、文句一つ言わない晴美だが、兄の久夫の名前が刻まれた柱を見て辛くなったのだろう。軍艦を見に畑へ行ってしまった。
- (で、カナトコ雲の大雨で晴美はずぶ濡れになった)
濡れた晴美を拭いてやりながら、径子がその後ろめたさを再確認していたところに、円太郎・サン / 周作・すずの二組の夫婦の溝のなさ(一見しての、だが)を見せつけられ、晴美との間の埋めがたい溝を改めて感じ、思わず口をついて出た台詞が
- 「ええ ええ ……… / 夫婦 仲良うて 結構な じゃない / 二組 揃うて」
「皆の様に自分もいちゃつきたいのにできない」から拗ねているわけではないのだ。
「ありゃ 『利根』よ / 重巡じゃ」 / 「ジュージュン?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p140)
「ジュージュン」は、「重巡」と「従順」が掛詞になっている。
- 「従順」とはつまり「言いなり」のことである。
- 上で触れた、径子が落ち込む理由を読者に正しく把握して貰う為、それぞれ「言いなり」な二人である、すずと晴美の会話の中に掛詞として紛れ込ませてあるもの。
なので、物語の必要上、ここで利根は(航空巡洋艦ではなく)「重巡」と呼ばれる必要があるのだ。
- 更新履歴
- 2022/03/01 – v1.0
- 2023/03/13 – v1.0.1(関係する投稿へのリンクと、「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/05/24 – v1.1(「寂しそうな晴美と、久夫についての描写」を「後ろめたさを感じている径子」に変更し、「ええ ええ ……… / 夫婦 仲良うて 結構な じゃない / 二組 揃うて」を追記)
- 2023/05/25 – v1.2(「ありゃ 『利根』よ / 重巡じゃ」 / 「ジュージュン?」を追記)
- 2024/05/13 – v1.2.1(文字化けを修正)
- 2024/05/28 – v1.3(「防空壕の役割」を追記)
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