弁当も草履も作る
服も下駄も、晴美のポーズに合わせてある
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p123)
弁当箱があるということは、円太郎に加え、晴美の弁当もすずが作ることになったということ。径子の弁当も作っているはず(第20回(19年11月)p67)左下のコマに描かれている)。
ここに挙げてある購入が必要な物のどれもが、この後登場することがないが、買えなかったのだろうか?
「できた」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p124)
できたのは晴美の上履き用の草履。原爆投下の翌日に知多の呼び掛けで草履を作る時に作り方を指導する伏線。
サンは上履き入れを作っている。
入学を重要視
「入学の時くらい」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p124)
径子が入学を重要視している事がうかがえる。なのに久夫の時は何も出来なかったわけだ。あるいは黒村家の両親が何も径子にさせなかったのが、北條家に戻ってきたきっかけの一つなのかもしれない。
最後の大和(そして最後のリンとの交流に向けたお膳立て)
「そういや 大和が戻って 来とったのう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p124)
右上のコマの艦影は大和
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p125)
呉への入港はこれが最後。
「えっ ほうですか ?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p129)
背景には再び大和の艦影。3月28日に大和は出港しているので、この回は3月20日〜3月27日の間のいずれか2日の話。径子の休みが日曜なら24日と25日ということに。
「じゃ あんたを 荷物持ちに連れて くしかないねえ…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p125)
ここで荷物持ちをさせたお返しで、次回の花見の際、すずは本来嫁がするべき荷物持ちを免除され、桜の木の上でリンとの交流が持てた(荷物を持っていたら木に登れない上、北條家が総出で荷物を探しにきてしまうのですぐに見つかってしまったことだろう)。
教科書の謎
「草津の従妹の 頃はまだ サクラサクラ じゃったし…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p128)
サクラ読本は1933-1940年入学の世代が使用。「草津の従妹」が千鶴子のことであれば、千鶴子は遅くとも昭和8年生まれ。なのに昭和10年8月の「大潮の頃」に草津にいなかった。
そして、そもそもサクラ読本は「サクラサクラ」ではなく「サイタサイタ」で始まるのだ。すずは実はサクラ読本の実物を見たことがないのであろう。一つ下のすみは新品のサクラ読本を持っていた筈なのに…
実は教科書以外にもある、大いなる謎
久夫の手紙、小一の割には難しい漢字を多用しているが、本人の書いたものなのか? 落書きはカタカナのみなのに。
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p129)
あるいはこの小包自体、本当に久夫あるいは黒村家から送られてきたものなのか?
誰から送られてきたのかはともかくとして、離縁して下関の引っ越し先も定かではなかったのかもしれない黒村家の住所が、これによって確実に北條家に知らされた、という事なのだろう。
- 更新履歴
- 2022/03/11 – v1.0
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