圧倒的な暴力

中段のコマやや左に、広島から飛んできた障子が小さく見える。

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p79)

ざっくり推定で距離100〜150m、高低差40〜50m。すずに当たらなかったのは不幸中の幸い。

「それが 昨日から 来んのよ…」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p80)

8月7日から来ない(※この頃既に夕刊は廃止され朝刊2頁のみなので)のだとすると、この日は8月8日。すずが知多にユーカリを託すのは翌朝だから8月9日。

「うちも息子が 陸軍へとられとる 心配なわ…」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p82)

見開きの隣の頁p83)の、このコマと丁度隣り合わせのコマに、腰掛けている黒い影がある。隣り合わせなのに気づけない…

「そんとな暴力に 屈するもんかね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p86)

障子が広島から飛んでくるほどの圧倒的な暴力(=原子爆弾)。それを広島に行かずともすずに実感させるために、障子が用いられている。そして「屈するもんかね」とは、戦い続けるという「歪んどる」考えなのか。

ただ、すずがどう考えようとお構いなしに、この数時間後には、20年8月9日の11時2分(長崎への原爆投下の日時)がやってくるのだ…

すずは「よそ者」で「けが人」

「じゃ 刈谷さん 来る?」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p82)

すずはここでも「よそ者」としての疎外感を味わう。

「けが人は 足手まとい じゃ!!」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p82)

このコマに続く2つのコマで、すずは怪我した右手を左手で触り、次いで左手を握り締める。切られた髪がずり落ちていく。すずは、怪我のために家事ができないのみならず、広島に行く機会も得られない。怪我のない、「よそ者」ではない刈谷は行けるのに。

互いに気遣う「この町の人」

「うちの人も近いうち 広島へ用事がある あせらんことよ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p83)

小林の伯母も次回描かれる玉音放送の場にいないことから、小林夫妻はともに広島に入ったのだろうか。けがをしていて広島に行けないすずを気遣って、本来は小林の伯父だけが用事があったところ、伯母も同行したのかもしれない。

「ユーカリを 摘んで来ました 蚊遣りに 使うて下さい」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p85)

次頁のB29は、大きな蚊に見えたかもしれない。

「うちは 強うなりたい 優しうなりたいよ この町の人みたいに」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p86)

「強う」は、すぐさま広島に救援に向かう強い意志を、「優しう」は、すずを気遣う優しさを、それぞれ指している。

「強くなければ生きていけない。優しくなければ生きている値打ちがない」という私立探偵フィリップ・マーロウの台詞が思い起こされる。そういえば彼は自称42歳。第40回で確定する円太郎の奉職年数でもあり、「生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え」(銀河ヒッチハイク・ガイド)でもある。


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    • 2022/04/05 – v1.0

1 thought on “第38回(20年8月)

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