運動が物凄く苦手な周作
「明日海兵団で 剣道大会を やるらしうて」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p88)
明日は8月15日。玉音放送が予定されていることは前日には連絡されていたのではと思うが…そんな日にあえて剣道大会を開催するものだろうか。
「いっこも 当てられん…」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p89)
運動が物凄く苦手な周作。こんなに運動音痴なので(「第36回(20年7月)」で、普通なら共同の井戸の手前で追いつく筈なのに)、F6Fの目の前に躍り出てしまうまで、走るすずに追いつけなかったのだ(あの場面だけ切り出されたので格好良く見えるが…)。
居る人、居ない人
昼間に径子が居る
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p90)
勤め先が焼けたからだろうか。それともすずの世話のために勤めを辞めたからだろうか。
隣組のうち知多が居ない
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p91)
前ページの回覧板で回覧済を示す署名があるにもかかわらず。単に自宅にラジオがあったのかもしれないが、恐らくは入市被爆による体調不良。小林の伯母も不在なのも同じ理由か、あるいは小林の伯父にこの日同行している可能性もある。
すずの怒りの理由
「うちはこんなん 納得出来ん!!!」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p92)
「第22回(19年12月)」で触れた、「普通で…まともで居」る為に、そして自分自身で整理した個別の「一貫性」。それを保てるならば、客観的に厳しい状況でもある程度までは耐えられるのかもしれない「一貫性」。
しかし「第35回(20年7月)」で触れたように、すずは自らの心の中にタブーを、解決する事の叶わないタブーを抱え込んでしまった。「一貫性」を保つ(ふりをする)為には、そのタブーをますます意識の奥底に封じ込めなければならない。無理やり封じ込めることでますます強まる精神的抑圧の圧力をいわば「ガス抜き」するが如く、すずは玉音放送で示された「一貫性の無さ」を槍玉にあげて(本来なら自らの一貫性の無さにぶつけるべきな)怒りをぶつけたのだ。
しかし、それは「ガス抜き」に過ぎない。怒りは(ある意味見当違いでもあり)根本的解決には至らない。だから、その精神的抑圧の表現である「左手で描いた世界」はその後も続くのだ。
暴力
左上のコマで、降伏を呼びかける伝単をすずが左手で握りつぶしている
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p88)
「そんとな暴力に屈するもんかね」とばかりに。
右下のコマの左下に、ユーカリの木に引っかかった障子が見える。
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p88)
「暴力で 従えとった いう事か」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p94)
1つ前のコマの太極旗、即ち併合されていた朝鮮を、暴力で従えていた。
「じゃけえ 暴力に 屈する いう事かね」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p94)
暴力で立場の弱い者を従えるのが「正義」なら、より強い暴力に屈するのも「正義」という理屈になる。異議申し立てをする資格はない。「それがこの国の正体」。
そして、ここでいう「暴力」には家父長制(による女性の支配)も含まれる。
例えば、家父長制のもと「リンを従えとった二葉館の女主人もまた家父長制に屈」していたわけだ(女郎屋ゆえ)。米や大豆はそういう仕組みの下で奪い取られていた…
「『鬼イチャン』作/浦野すず」で家父長制が戦争を起こし、自滅したかと思いきや現代に生き続けているのだぞ、と示されているが、ということは即ち、現代に生きる読者(のうち男性)自身が、実はここで言及されている「暴力」を(無意識に)ふるっている主体なのでは、と問われているのかも。
「うちも 知らんまま 死にたかった なあ……」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p95)
だから「うち『も』」なのは(一見、晴美を指しているように思えるが)、読者もまたこの仕組みの一部で、この物語を読んで(それを)知ってしまった筈、ということでもある。
そして「すずの怒りの理由」で触れた通り
- すず自身が暴力的なタブーを抱え込んだまま
- (※「リンさんが死んで、良かったと思ってしまっている」というのは立派に暴力的なのである。念の為。)
- そのタブーに(精神面で)暴力的に押し潰されそうになっている
というのも上記「じゃけえ 暴力に 屈する いう事かね」で触れた構図と全く同じ。
そんな構図も、そういうタブーを抱え込む原因も、知る事が無ければこんなに苦しまずに済んだのではないか。そういう思いが表現された言葉なのだろう。
事程左様にすずは考えを重ねていて。彼女が「なんも考えん、ぼーっとしたうち」であったことなど一度も無いのだ。
そもそも、例えば「第9回(19年5月)」でも描かれているように、ぼーっとしている暇は「嫁」にはないわけで。
太極旗
この回では太極旗が4箇所、太極図が1箇所描かれている
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p94)
下巻p94「この国から正義が飛び去ってゆく」のコマ右下に太極旗、同じコマの空の雲の形が太極図。下巻p94上から2段目に大きめの太極旗。下巻p95「うちも知らんまま死にたかったなあ……」のコマの消失点の右側、遠方の屋根が描かれている中に太極旗。下巻p96最後のコマのバケツの右側に太極旗。
太極旗と太極図模様の雲
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p94)
「この国から正義が飛び去ってゆく」までは、この「正義」は今まですずが信じてきたp92)「最後のひとりまで戦う」正義。太極旗を見て、その「正義」が、「そんとな暴力に屈するもんかね」と言っていたその暴力と等価なものに過ぎないことに、今更ながらすずは気づく。
また、太極図模様の雲のコマの下の端に、2つ先のコマで登場する太極旗が描かれているのは、すずの視界(=意識)のほんの片隅にしかそれが目に入っていなかったことを表している。さらに「第9回(19年5月)」で視界を埋め尽くす日の丸の旗との対比からも、すずの意識の中での彼らの扱い振りが見てとれる。
まさに「この世界の片隅に」太極旗を見つけたのだ。
下段のコマで、(咲いていない筈の)カボチャの花が咲いている
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p96)
太極旗が指し示す存在は、すずの視界(=意識)のほんの片隅にしか目に入っていなかった。居るけれども殆ど存在しないかのように。
同じように女性も、家父長制の下(あるいは歴史において)、意識のほんの片隅にしか目に入っていなかった。居るけれど殆ど存在しないかのように。
咲いていない筈のカボチャの花が咲いているのは、読者にそのことを気づかせる(連想させる)ための仕掛け
- 咲いているのに気づかなかった→読者も気づいていないことがあるぞ
- 花が女性を連想させる
- 女性の好むものとして芝居浄瑠璃芋蛸南瓜という言い方がされることがある など。
そして、すずは女性という意味では無視された存在かもしれないが、太極旗(が指し示す存在)を意識の片隅に追いやっていたという意味では無視していた主体であるという二重性が描かれているのだ(※上記「じゃけえ 暴力に 屈する いう事かね」の項目で説明したように、女性同士であっても、読者であっても、そして勿論「ヒロシマ」も、そうした二重性から逃れることはできない)。
「芋たこなんきん」(芝居浄瑠璃芋蛸南瓜という言い回しが題名の由来とされる)
漫画アクションで「この世界の片隅に」の掲載が開始
- 「冬の記憶」は月刊まんがタウン2006年2月号
- 「大潮の頃」から漫画アクション(2006年8月15日号)
- 「第1回」は2007年1月23日号
されたのと同時期に放送されていた2006(平成18)年度下半期のNHK連続テレビ小説が「芋たこなんきん」。芝居浄瑠璃芋蛸南瓜という言い回しが題名の由来とされるこの作品のモデルかつ原案者は小説家・随筆家の田辺聖子で、彼女はすずの2学年下。
時系列で女性の半生を描くことの多い一般的なNHK連続テレビ小説とは違い、この作品では彼女が軍国少女だった戦時中については回想(作中作になるので、入れ子構造のmise en abymeになっている。アンドレ・ジッドの「贋金つくり」のように…そしてこの「贋金つくり」が発表されたのは1925(大正14)年。そう、すずの誕生年。)の形で語られている。
そしてこの「この世界の片隅に」も(わざわざ○○年○月と副題に示していながら)実は時系列ではないところがミソ(後程説明予定)。
- 更新履歴
- 2022/04/07 – v1.0
- 2022/06/10 – v1.1(「下段のコマで、(咲いていない筈の)カボチャの花が咲いている」を追記)
- 2022/08/15 – v1.2(すずの怒りの理由「うちはこんなん 納得出来ん!!!」を追記)
- 2022/10/10 – v1.3(「芋たこなんきん」を追記)
- 2022/12/23 – v1.3.1(用語の修正)
- 2022/12/26 – v1.4(「うちも 知らんまま 死にたかった なあ……」の台詞の背景を追記)
- 2022/12/27 – v1.4.1(「暴力的なタブー」について説明を追記)
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