仕掛けだらけの独白

「昨日 ない事を思い知った右手」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p56)

p60)ですみが「こないだは うちからも こっちの空がまっ赤 なんが見えたよ」と言っていて「昨日」「一昨日」とは言っていないことから(7月1日(日)を基準とみても)この日は7月4日(水)以降。

他方で、7月3日(火)に「呉市戦災対策連絡協議会」で5,000戸の三角兵舎供給が決定され7月6日(金)迄に2,000戸が建築されたという報告がある(「呉空襲後の住宅難を救った『三角兵舎』」より)にもかかわらず、p60〜61)の呉市街地には全くそうした様子が見られないことから、この日は可能性のある中で最も早い7月4日(水)なのかもしれない。

そうすると、ない事を思い知った「昨日」は7月3日(火)。7月2日(月)朝に高熱を出して寝込み、翌日病院で(医者が高熱の原因かもと確認しようと)右手の傷口の包帯を解いたため「ない事を思い知った」のだろう。

「四月には テルさんの紅を握りしめた右手」「去年の十二月には 水原さんの手を握った右手」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p56)

水原哲の手を握った右手でテルの紅を握りしめたのだ。

「去年の六月には こまつなのタネをのせた右手」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p57)

種をのせたのは実際には2か月前なので4月の筈。「こまつな」は平仮名、タネは片仮名。「こまつな」に「タネ」(仕掛けがある)という意味か。

「十年前の八月には すみちゃんのために砂にお母ちゃんを描いた右手」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p57)

「冬の記憶」には言及がない。つまりすずは「冬の記憶」をそもそも知らない。他方で十年前の八月と明言しているので、やはり「大潮の頃」は10年8月で正しい。しかも座敷童子への言及がない。つまりそこに座敷童子は「いなかった」。

すみと(歪んでいく)すず

「救援物資のトラックへ 乗してくれんさってね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p58)

すずが大怪我したと聞いてすぐさま交通手段を確保して駆けつけたすみ。対照的にすみのいる広島に原爆が落とされた時には、救助のトラックに乗せてもらうことも叶わず5ヶ月も経ってからようやく見舞えたすず。

「江波山でとった びわじゃ!」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p58)

「とれた」ではない。びわの旬は5〜6月なので、旬の終わり頃すみが収穫したのだろう。すずが江波へ帰りたくなるよう仕向けたくて持ってきたのだろうか。

「平気なん?」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p59)

すずの怪我の具合を気にかけての問いかけであると同時に、家事ができないから寝ているのに出かけるなんて、ますます北條家に居づらくなるのではないかという意味も込められている。

「ほいじゃ 川べりの やぐらが 目印…」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p59)

小春橋の右側に見える櫓。

「あれ以来 周作さんとろくに話してない」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p59)

川べりの櫓を見たのであろう小春橋でのデートから連想したのだろうか。「歪んでいるのはわたしだ」に繋がる一連の独白の最初。すずが周作と話したいこと。それはもちろんリンの事。そして「歪んどる」すずは、自分の内面に恐ろしい結論を見るのだ。

「あそこは壕へ 寝とってじゃ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p59)

「家が焼けたら出て行けばいいのに」と考えが歪んでいくすずと違い、家が焼けても、呉を出て行くのではなく、壕に寝てでも家の近くに居続ける誰か。

家が焼けても出て行けるわけではない事に気づいてますます歪んでいくすず。

「誰か亡く なりんさっ たんじゃね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p60)

と言いながらすみは左手ですずを制する仕草をしている。なぜ? 右手を三角巾で吊っているから手を合わせづらいと思ったのか? あるいは、右手を失くしたすずはもはや手を合わせることができない、とでもいうのか?(歪んでいくすず)

「一つしか違わんすみちゃん」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p60)

すみとすずで「一つしか違わん」こと。それは年齢なのか、手の数なのか。そんな風に考えてしまうほど「歪んどる」ということ。

「広島へ 帰っておいでや」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p61)

「波のうさぎ」のすずの通学スタイルと同じショルダーバッグ2連装のすみ。そう、「波のうさぎ」の頃とはもう違い、客観的にはすずと違うところのない「いもうと」。

「…………………………え?」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p62)

北條家が焼けたら広島に帰れるとあれほど強く思っていたのに、すみに「広島へ 帰っておいでや」と言われた時に驚いているのは、「広島に帰りたい」という思いが「歪んどる」自分だからこその考えと思っていたところに、歪んでいないはずのすみから「広島に帰ろう」と言われたから。「歪んどる」のは一体誰なのか。自分なのか周りの世界なのか?

「うーん ええ考え じゃ思う けどなー」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p62)

「広島へ 帰っておいでや」とすずに言おうと、すみは呉への道すがら考えていたのだとすると、すずが見送りに出るとは予想していなかっただろうから、北條家でこっそり切り出そうとして切り出せなかった、ということになる。

「鬼いちゃんが死んで 良かったと思ってしまっている」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p62)

もう一つの(言葉に出さなかった)裏の意味は、「リンさんが(朝日町が「全滅」したのなら恐らく、そして周作が確認したのなら間違いなく…)死んで、良かったと思ってしまっている」

「広島へ 帰っておいでや」とすみに言われて戸惑う程「広島へ帰りたい」という思いがあやふやになっているすずにとって、鬼いちゃんが広島にいるかどうかはさほど重要事ではなくなっている筈(そもそも彼の死を実感できずにいるのだし)。加えてこの一連の独白は「あれ以来 周作さんとろくに話してない」から始まる、リンの事を強く意識している独白なわけで。

しかし「リンが死んで良かった」というのは(独白であっても)あまりにタブーすぎる考えであるため、とっさに鬼いちゃんに置き換えた、ということ。こうした(言語化できないことによる)精神的抑圧は、さらにすずを歪めていく。

それが「左手で描いた世界」。

読者の不安は最高潮に

「広島は 空襲も ないし」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p62)

空襲を、まるで自然災害の類のように捉えている。

「来月の六日は 町のお祭り じゃけえね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p62)

今月は7月なので、来月の六日は、昭和20年8月6日。

「早う帰って おいでね!」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p62)

結局帰るという結論なのか。その日に。


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  • 更新履歴
    • 2022/03/25 – v1.0
    • 2022/04/15 – v1.1(「昨日 ない事を思い知った右手」の記載を追加し、それを踏まえて投稿日も修正)
    • 2022/06/27 – v1.1.1(「鬼いちゃんが死んで 良かったと思ってしまっている」の記述を第34回(20年7月)と整合するように修正)
    • 2022/07/12 – v1.1.2(「左手で描いた世界」を追記)

3 thoughts on “第35回(20年7月)

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