ありえない描写
左上のコマで、座敷童子がすずの枕元を左手側から右手側に向かって歩いている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p28)
p27)の下のコマは(第1回p58)の天井の電灯の配線の這わせ方からしても)すずの視界の向きの筈だが、座敷童子がその顔を出した所から降りたのだとすると縁側に辿り着く迄に部屋を1と1/4周もした事になるし、すずの枕元をその向きに歩ける最短の所に降りたのだとしても、部屋を3/4周もした事になる。どちらにしてもすいかへの最短距離ではない。
加えて、p28)中段のコマの右端で大人達の部屋との間の襖が開け放たれたままなので、キセノの向かいに座った大人に見咎められたはず。
右下のコマで、森田イトがすずの新しい着物の余りの布地を座敷童子の古着に縫い付けている間、座敷童子はすずが置いていった着物と同じ柄の着物を着ている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p32)
「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」で描かれたとおり、この座敷童子は草津の森田家の屋根裏に潜んだ後、呉に移動し「国防と産業大博覧会」会場で二葉館の女主人に拾われている。が、「国防と産業大博覧会」は昭和10年春開催(「第42回 晴れそめの径(20年11月)」に明記)であるから「大潮の頃(10年8月)」に草津にいるはずがない。当然、すずが置いていった着物を着ることもできるはずがない。
そのからくりは
着物の柄
座敷童子は、10年春の呉の博覧会で女郎屋に連れ去られるので、イトにあまりの布地を縫い付けて貰うのはそれより前。かつ「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」ではすいかを食べているので、夏の季節にはいた筈。加えて、呉を去るときにはイトが10年に着ているのと同じ柄の着物(後に巾着に加工される)もボロの下に着ている。
恐らく9年の夏、お盆のすず達が帰った後、イトが(早くも)来年10年用のすずの浴衣を用意しているところに、座敷童子はすいかの食べ残しを食べようとして現れたのだろう。
- 「第1回(18年12月)」で、着物を準備することにかけては、とっても気が早い、というイトの性格が描かれているのは、この仕掛けの前提としてだったのである。
リンの巾着はすずが置いていった着物ではなく、イトが10年に着ているのと同じ柄の着物(これが誰の着物なのかは描かれていないので不明(「あの人」かもしれない)。この柄の布は後にすずのモンペの継ぎ当てにも使用。)を後に加工したもの。
なので、p32)の細い枠のコマ2つは(置いていった着物を座敷童子が着てるかな、という)全くのすずの想像。
「こどもには こどもの / 世知辛い世界が あることを思い」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p26)
鬼いちゃんにいびられる事のように読めるが、それだけではなく。
イトは、10年8月にすずに浴衣を着せる時、その浴衣地のあまりを座敷童子のボロに縫い付けた話を少しすずにしたため、すずは、p26)「こどもには こどもの/世知辛い世界が あることを思い」屋根裏に匿われていた子供の事を考えていた。そのため…
「ねぼけとっ たんじゃね」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p29)
そうマリナに言われたとおり、p27)からp29)の右上のコマまで、すずは寝ぼけて、座敷童子がいるかの如く錯覚した。
「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」p108)中段右のコマでも、すずは目をこすっていて直接座敷童子を見ていない。恐らくこのコマは、右半分は10年8月、左半分は9年の夏を描いているのだ。
「放っときゃ あとで食べに 来んさってよ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p30)
とイトがすずの錯覚を否定せず話を合わせるのは、(座敷童子がいないとイトは判っていたが)森田家の他の大人には座敷童子を匿っていたことは内緒だった(勿論、すずに浴衣地のあまりを座敷童子のボロに縫い付けた話をしたことも内緒だ)から(※話を合わせないとすずが他の大人に話してしまうかもと懸念して)。
p26)「いけんねえ 昼間から ねずみかね」は実際のねずみであろう。
「…すず お前が見たん 座敷童子じゃ ないかのう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p31)
イトがすずの錯覚を否定せず話を合わせたことが奏功して、(イトが座敷童子を匿っていたことについては)すずはどうやら誰にも話さなかったようだ。
居ないはずの子供をすずが見たと言っている、という事だけが大人達経由で伝わったが故の(偶々学校の先生から座敷童子の話を聞いていた)鬼いちゃんのこの反応なのであろう。
直接は描かれていない、名前の由来
マリナの名前の由来
「第32回(20年6月)」の投稿で、義理の姉のキセノの名前は、ある言葉を逆さに読むところに由来があった旨触れているが、マリナの名前の由来も逆さに読むところから導けそうだ。
- 森田→モリタ→タリモ→(タとモから棒を一本とって)「マリナ」
直接は描かれていない、さらに重大な事
千鶴子が居ない
「第27回(20年3月)」の「草津の従妹」が千鶴子のことであれば、サクラ読本は1933-1940年入学の世代が使用しているので、千鶴子は遅くとも昭和8年生まれ(1940年に入学)。10年8月には2歳前後の筈だが、p26)の墓参りの列にも見当たらない。
「いよいよ一人前と 認められたのだろうか」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p25)
その前の流れからうっかり「大人として認められた」と読みそうになるが、10歳は大人というほどでもなくて。
そうではなく、「一人前」とは正規の構成員であると認められることである。
つまりすずは、それまで正規の構成員と認められていない、と感じていたわけだ。何故か(「冬の記憶(9年1月)」で説明予定)。
「墓参りに出かけ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p26)
「あの人は 苦労の し通しでね」「ほうねえ」
その墓に眠る「あの人」とは誰なのか。
- 更新履歴
- 2022/04/18 – v1.0
- 2022/05/20 – v1.1(「マリナの名前の由来」を追記)
- 2022/05/26 – v1.2(「…すず お前が見たん 座敷童子じゃ ないかのう」を追記)
- 2022/12/28 – v1.2.1(関係する投稿のリンク先を追加)
- 2023/04/28 – v1.3(「第1回(18年12月)」で、着物を準備することにかけては、とっても気が早い、というイトの性格が描かれている旨追記)
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