リンとすずは同い年

中段左のコマで、酒代として4円で売られたリン

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p106)

芋のとれる秋、リンは売られた。赤子をおぶっているということは首がすわっているわけだから出生直後ではない筈。恐らく母が出産で亡くなり、赤子の面倒をみるため小学校に行けなくなったのが小学1年の秋で、その翌年の秋(8歳=小学2年)に売られ、9歳=小学3年の夏迄に売られた先を逃げ出して(ただし逃げ出した理由はやむを得ない事故である)草津の森田イトに匿われたのだろう。「大潮の頃」は(10年8月)だからその前年であり、その年に9歳ということはすずと同い年。

会った事がなくても「Pay It Forward」

中段右のコマ、右半分のすずのあたりは描線がやや薄い

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p108)

左半分は昭和9年の夏〜昭和10年の早春までのいずれか(すいかを食べているから恐らく9年の夏)、右半分のすずのあたりは昭和10年8月(しかもすずは目をこすっていて、周りを見ていない)。一つのコマに2つの時間が描かれている。リンとすずは直接は会っていない。

赤い所もあるすいかをイトに食べさせて貰ってから草津を出たのだろう。だからすずに描いて欲しい筆頭がすいかなのだ。はっか糖、わらび餅もイトが食べさせたのだろう。

国防と産業大博覧会で、朝日遊廓の売春宿の年老いた女主人にあいすくりいむを食べさせて貰うリン

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p109)

森田イトに優しくして貰った(もしかしたら電車賃くらいは持たされたのかもしれない)ので、売春宿の年老いた女主人に気を許したのか、或いは(別人ではあるが、映画「Pay It Forward」のように)恩返し(恩送り)の一環とリンは考えたのかもしれない。

準備よく逃亡する周作

「うん… みな 準備がええ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p107)

この日は10月6日。占領軍が上陸するというので、皆は家の中、周作は上官と逃亡。「周作も準備がええ」。勿論上官のお陰(この後再就職の口ききもして貰える)。

「絶対戻って 来て下さいね」「当たり前じゃ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p108)

戦犯として捕まれば戻れない。

記憶の切れ端の寄せ集め

「…知っとろう そこの二つめの 角を左じゃ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p110)

すずが初めて迷い込んだのと同じ門から入る道のり。周作は7月2日朝の時点で(リンがどうなったのか)確認済み。

「秘密は無かった事になる」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p111)

「リンと周作の秘密」だと読者は思うところだが、テルに関わる秘密も。隣のコマにはわざわざテルとの場面が描かれているし。

「リンさんの事 秘密じゃなく してしもうた」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p112)

折角リンが何も知らないふりをしてくれていたのに。

なお、秘密じゃなくしてしもうたのは、周作に対して、すずがリンという存在を知っているぞ、という部分。テルに関わる秘密は、引き続き秘密のまま。

「リンさんが死んで、良かったと思ってしまっている」ことも。

「これはこれで ゼイタクな 気がするよ…」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p112)

りんどう柄の茶碗の破片を拾って持つすず。リンは秘密を独り占めできることがゼイタクだと言ったが、秘密を、記憶を分かち合うこともゼイタクだと考えている。なぜならお互いに分かち合った記憶の切れ端の寄せ集めが自分なのだから。

嘘にも色々あって

「ああこんな時 両手があればなあ / この人の不安な手にそっと 片手を重ねられるのになあ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p105)

「なあ」という語尾で終わるすずの台詞は他には、8月15日の「うちも 知らんまま 死にたかった なあ……」であった。第39回(20年8月)で既に触れたように、あの日すずは死にたかったわけではない。

そして、前回予告した通り逃亡する周作を見送るすずが持っているのは薄めの鞄一つである。渡す時も左手で容易に掴める程度の。右脇に鞄を挟めば、左手を周作の手に重ねる事などわけもない。だからこれも、8月15日の台詞と同様、字面通りに受け取るべきではない(そもそも周作の「制圧に行く」も字面通りではないわけだし)。

そもそも何故「すずさんも帰ったら 家から出んことじゃ / 絶対で」とまで占領軍を恐れている(かつ周作本人は逃亡)のに、すずに自分を見送らせたのか。しかも呉駅迄ではなく中途半端な場所迄。

21年1月に周作がすずをわざわざ広島まで呼び出したのにはいくつか理由があった(後程説明予定)のだが、それにはすずがすみを見舞えるようにという気遣いも含まれていた(主たる理由ではないものの)。この日(20年10月6日)も同様に、周作はリンの消息を直接すず本人が見た方が良いと気遣った形、ではある(周作が連れ出さなければ、嫁であるすずは自由に出かけられない、という背景の下)。

ただこのリンの消息に関しては、そんなことをしなくても周作がすずに告げれば良いだけの話。しかし周作はそうする事が出来なかった。自分の口から伝えた時のすずの反応が怖くて。

で、ずるずると言えないまま時が過ぎてしまい、占領軍がやって来る日を迎えてしまった。自分は逃亡しなければならないのでもう伝える機会がない。それで、占領軍がやって来る中での危険な(恐らく径子やサンは心配しただろう)外出をすずにさせる言い訳として周作は「自分自身が不安を感じている」と強調したのだろう。前回屋根を修理しようとして「もう一つ 穴あけて しもうた!」のと同じくらい手際の冴えない周作である。

すずは、あまり不安そうには見えないのにな、と訝りながらも、まあ逃亡生活に入るのだから不安なのだろうと形だけ考えることにしたものの、何となく納得がいかない。その気持ちを無理に納得させる為「不安な周作を心配する妻」を演じようとして(本心ではそこまで心配しているわけではないから手を重ねるつもりなどまるで無いのだが、手を重ねない言い訳として都合が良いな、と)「ああこんな時 両手があればなあ」と心にもない独白で自分に言い聞かせているのである。

「鬼いちゃんが死んで 良かったと思ってしまっている」という「嘘」が第35回(20年7月)で触れたようにタブーを覆い隠す精神的抑圧によるもので、それが「左手で描いた世界」として未だに続いているのであるが、それに対し、この心にもない独白は、無意識の抑圧からではなくすずが意図的についている「嘘」。それは第33回(20年6月)ですずがサンに合わせるためにそうするしかなかった「嘘」とも違う、自分を納得させる為という意図からの「嘘」。

(なお、第31回(20年5月)の「うそです」は、うそです、と言っている事自体がうそで、それを示す為にわざわざ平仮名で書かれている…つまり、続く「うちはあんたがすきです」もうそだという事)。

「右手……… どこで何を しているん だろう」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p105)

そして、すずが心にもない独白、あるいは意図的な「嘘」、をきっかけに右手の事を意識すると、それに呼応するように誰かの右手が現れて、副題のついているこの回以降毎回、ひたすら描きまくるのだ。すずの右手の代わりを務めるかのように。

前述の通り「嘘」にも、自分の心を守る為の嘘や、誰かを安心させる為の嘘がある。リンの知らないふりも「嘘」。そして「誰かの右手」が描き出すフィクションも(読者も含め)誰かの為の嘘なのだ。


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  • 更新履歴
    • 2022/04/17 – v1.0
    • 2022/09/26 – v1.1(「嘘にも色々あって」を追記)

1 thought on “第41回 りんどうの秘密(20年10月)

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