径子達の気遣い
右上のコマで(芋入りとはいえ)2人分のご飯、中段左で浮かない表情のすず。
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p35)
前回「第15回(19年9月)」の話の終わりで北條家のみならず読者もすずが妊娠したと認識している筈で、それに引き続きこの2つがくれば、それだけで何が起きたか了解出来る。
- (但し、その了解では十分でないのだ、実は。詳細は「第25回(20年2月)」にて。)
また、(2人分のご飯を用意してくれるあたりから)径子の気遣いぶりも判る。
「がっかり してじゃ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p38)
とすずは予想したが、北條家の中でがっかりしている風なのは晴美だけ。いや、内心はがっかりしているのだろうが、すずが気にやむことのないよう気を使っているのだろう。
「ちなみに これは おかゆさんの 上澄み」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p42)
あいすくりいむ ではなくて。
話のオチであると同時に、p35)扉でのさりげない径子達の気遣いを強調する効果もある。
リンの境遇と辿った径
「病院? どっか 悪いん?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p36)
恐らくテルも肺炎を起こすまで(起こしても?)病院に連れて行って貰えなかった。病院に行くのはよほどのこと、というのがリンの認識なのだろう。
「小学校へは 半年通うたけえ」 / 「しまいにゃ お産で死んだよ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p37), p39)
「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」によればリンが売られたのは芋のとれる秋なので、直後なら小学1年に売られたとも考えられるが、赤子をおぶっているということは首がすわっているわけだから、恐らく母が出産で亡くなり、赤子の面倒をみるため小学校に行けなくなったのが小学1年の秋で、その翌年の秋(8歳 = 小学2年)に売られ、9歳 = 小学3年の夏迄に売られた先を逃げ出して草津の森田イトに匿われたのだろう(「大潮の頃」は(10年8月)だからその前年ということ)。
「ホー / ジョー / スズ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p37)
「北條」の当時の字音仮名遣(漢字の音読みを表すかなづかい)は「ホウデウ」である。
- (※「第27回(20年3月)」のp123)扉に描かれた海水着 [15点] に「ホウデウ」の名札(ゼッケン)が縫い付けられている)
- ただリンは漢字を習っていないのだから
- すずとしても「北」や「條」の字音仮名遣を教えたいのではないし
- 単に発音を伝えれば事足りるわけで。
下記リンク先の資料中
- 新旧字音仮名遣対照表(具体的には九〇頁の表 五)の旧仮名遣「デウ」に対応する、発音の欄には
- 「ジョー」と書かれているのだから、このように書けば発音は伝わる。
- そして「錠」の旧字音仮名遣「ヂヤウ」も発音は「ジョー」で同じだ(九五頁の第二十一の例の五)。
- (すずは「第15回(19年9月)」で触れたように職業婦人であったのだが、職業柄このリンク先資料「新字音仮名遣表」を直接見た可能性もある)
なので
- わざわざ「ヂヤウ」や「デウ」と書くのではなく
- 「ジョー」と石で地面に書いてリンに伝えたのだ。
「ほーー / じょーー ……… / ……… ……… ………」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p37)
長いリーダーは、勿論周作の苗字と同じだな、と気づいてのこと。ただし「第14回(19年8月)」でキャラメルの絵は求めなかったことからも、リンにとって周作は、さほど重要度は高くない存在。
「あんたも 楽しみ なんかね?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p39)
こう聞かず、「誰でも何かが足らんくらいで この世界に居場所はそうそう 無うなりゃせんよ すずさん」にいきなり飛んでも、外形的にはすずを励ますことにはなる。敢えて時間(と貴重なページ数…1話がたった8ページなのに!)を費やして問答させているのは、勿論すずが自身で考えて結論に至る方が(ただ言われるだけよりも)納得感が高いから。
「居ったら居ったで 支えんなるよね」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p41)
リンは母が亡くなってからは小学校にも行けずに赤子の面倒を見て、さらにお金のために売られた。支えになっている…
「子供が 出来んと わかったら がっかり してじゃ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p38)
「困りゃあ 売れるし ね!」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p41)
「子供でも 売られても それなりに 生きとる / 誰でも何かが足らんくらいで この世界に居場所はそうそう 無うなりゃせんよ すずさん」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p41)
そもそも「子供が出来ん」から「がっかり」だというその視点には、「困りゃあ 売れるし ね!」と同様に、当の生まれてくる子供の視点は全く含まれていない。
- 子供本人の意向とは関係なく産み出され
- 意向とは関係なく小学校を辞めさせられ
- 意向とは関係なく売られ。
自らの意向は無視されて結婚させられたすずであるが、彼女もまた、「ヨメのギム」と言いながら、生まれてくる子供の意向を無視しているという二重性。
- 「居場所」が
- (詳細は「第37回(20年8月)」や「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」で触れる予定だが)
- 「単なる物理的静的な場所ではなく動的な関係性にこそ居場所は存在し得る」のだとすれば
- この二重性はそうした関係性とは正反対の「すれ違い」そのものであるから
そうだとすると、この二重性を解消(するか、少なくとも認識)しない限り、そうした動的な関係性、即ち「居場所」は成り立ちようがない。
リンはすずを気遣って「何かが足らんくらいで この世界に居場所はそうそう 無うなりゃせん」と言ってくれたけれども
- 本当は
- (「ヨメのギム」のような無意識な二重性に囚われているうちは)
- 「何かが足りていようがいまいが、この世界に居場所なんて、そうそうあるもんじゃない」し
- それに気づけて初めて、そうした関係性(或いは「居場所」)を意識できる。
- 「何かが足りていようがいまいが、この世界に居場所なんて、そうそうあるもんじゃない」し
- (「ヨメのギム」のような無意識な二重性に囚われているうちは)
それが「ヨメのギム = 無意識な二重性」を一刀両断にしたリンの真意なのだ。
下段右のコマですずの絵が入った巾着を大切そうに握るリン
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p42)
すずと別れた後も2階からずっと見送るリン。
- リンがすずと会うのはこれが2回目(3回目ではない)。
- 3回目、すずが訪ねてきたときは会えず。その代わり、テルが会った(「第25回(20年2月)」)。
- 4回目が花見の回(「第28回(20年4月)」)。
すずとリンの問答は、この後の物語(の重要な要素)に繋がっている
上段右のコマに箒がある
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p36)
訪ねたとき丁度リンは外で掃き掃除をしていたので、他の二葉館の人にすずは会わなかった。
そうでないと(二葉館の人に認識されてしまうと追い返されることがなくなるので)、この物語の最重要場面の一つであるテルとの出会い(「第25回(20年2月)」)もなかった筈。
白木リンと書かれた紙片は、p29)の帳面の、一部が切り取られた裏表紙と同じ紙
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p37)
だからリンが持つこの紙片は、周作の帳面の一部ではあるのだが、実は周作の手から直接渡った物ではないのである(その理由は「第18回(19年10月)」にて)。
「そりゃ 大丈夫 ……」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p37)
リンの巾着は「第19回(19年11月)」のすずのモンペの継ぎ当ての布と同じ。かつ「大潮の頃」の森田イトの着物の柄と同じ。イトが端切れで巾着を作ってやり、古くなった着物を継ぎ当て用としてすずにあげたのかもしれない。
現役の継ぎ当てなので、その時にはすずは気づかなかったものの、何となくかもしれないが印象には残っていただろうし、それが「第18回(19年10月)」で気づくきっかけの一つとなったのだろう。
「白木リン」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p37)
「しらきりん」は「しらをきる」を連想させる。「しらを切る」は、知っているのに知らないふりをすること。
周作とのことについてなのは勿論だが、彼女が「しらを切る」のは実はそれだけに留まらない。後にテルに起きること(がすずに関係していること)についても、リンは知らないふりをする(「第28回(20年4月)」。でも、聡いすずにはしっかり伝わったけれど)。
「あ 夫です」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p39)
すずは周作のことを「主人」ではなく「夫(おっと)」と言っている。さすが時代の最先端の出版関係に勤めていた職業婦人(「第15回(19年9月)」参照)だけあって進歩的、と思われるだろうか。
実は当時は配偶者の男性を「夫(おっと)」と呼ぶのは普通の事だったようなのだ。「第20回(19年11月)」でも、登場する相談者達は皆、配偶者の男性を「良人(おっと)」と呼んでいる。
の第6号(1985(昭和60)年発行)の記事
によれば、主だった国語辞典に「主人」の意味として「妻が夫を指していう言葉」が揃うのは戦後暫く経ってからだという。
- 1947(昭和22)年に民法が改正されて家制度は無くなった筈だが、それと入れ替わるかのように配偶者の男性を「主人」と呼ぶ習慣が定着し、それがこの物語『この世界の片隅に』が語られた平成の時代を過ぎてもいまだに続いている。
- 加えて結婚すると殆どの場合、夫の苗字を名乗る。
- そして1944(昭和19)年に妻が配偶者の男性を「夫」と呼ぶのを進歩的と感じる。
「『鬼イチャン』作/浦野すず」で描かれた(そしてこの物語『この世界の片隅に』のその後の回でも描かれ続けていて)、しかも現代に根強く残る家父長制。どうやら滅びる気配さえ見せていないようだ。
「世の男の人は みな戦地で 命懸けじゃけえ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p39)
読者は誰もが疑問に思う。何故周作は戦地に行っていないのか? その理由は「第21回(19年12月)」に描かれている。
「それがヨメの ギムじゃろう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p39)
- 恐らく両親や周りの大人達からそう聞かされ続けていたので、それを真似して話しているが、あまり深く考えたことがない、ということでカタカナになっている。
- (男性)読者も深く考えたことがない、かもしれないし。
…とうっかり思わされるところだが、実はこれは「ここにも仕掛けがあるぞ」ということで、カタカナになっているのだ。
で、ここでの仕掛けは何かというと
- 「ヨメのギム」があるなら
- 「オットのギム」もある
ということ…ただしそれは(第31回(20年5月)で描かれるとおり)あまりにも失礼なものだったりするのだが。
- 更新履歴
- 2022/03/05 – v1.0
- 2022/03/30 – v1.0.1(誤字修正)
- 2022/06/07 – v1.1(「ヨメのギム」があるなら「オットのギム」もある旨追記)
- 2022/07/17 – v1.2(「子供が 出来んと わかったら がっかり してじゃ」「困りゃあ 売れるし ね!」を追加し、すずの発言の背景にある二重性について追記)
- 2022/12/21 – v1.2.1(関係する投稿へのリンクを追加)
- 2023/03/13 – v1.2.2(「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/09/21 – v1.3(「それがヨメの ギムじゃろう」のカタカナ表記について補足するとともに「あ 夫です」を追記)
- 2024/05/23 – v1.3.1(衍字修正)
- 2024/06/04 – v1.3.2(「右上のコマで(芋入りとはいえ)2人分のご飯、中段左で浮かない表情のすず。」に、ここの段階での読者の了解は十分では無いことを追記)
- 2024/09/02 – v1.3.3(誤字修正)
- 2024/09/03 – v1.4(「子供でも 売られても それなりに 生きとる / 誰でも何かが足らんくらいで この世界に居場所はそうそう 無うなりゃせんよ すずさん」を全部差し替え)
- 2024/09/04 – v1.5(「ホー / ジョー / スズ」を追記)
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