対照的に見える二人

中段下部右のコマで、水原哲がすずを抱える描写

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p75)

軍隊勤務がこなせる体格の良さを表しており、対照的に、すずを抱える描写がない周作が、体格に恵まれていない(他にも大きな要因がある(この後描かれる)が、体格でも兵隊検査に引っかかったのかもしれない)事を表している。

「ここじゃ ただの ボンヤリ でしょう」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p77)

対する周作の仕草は、すずが「ボンヤリ」というのを否定しているようにも見えるが、これは水原哲がすすめるたばこを周作が断っているのだ。現代であればなんの変哲もないシーンだが、たばこは高価な嗜好品で、一般的な男性であれば、勧められて断るようなものではなかった筈。周作が何らかの呼吸器系の問題を抱えている事を示唆している。

「ゴリラの水兵さん になるん」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p82)

水原哲の(見慣れた周作と比較しての)体格の良さを駄目押ししている。ちなみにゴリラが日本に初めて輸入されたのは1954年なので、晴美が実物を見たことはない筈。絵本か何かで見たのだろう(どちらかと言うと軍艦の図鑑が好みのようだが…)。

様子が普通でない水原哲

「昔と感じが 違うけえ…」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p76)

「昔」はいつを指すのか。

「今」は19年12月。短いながらもちょうど1年前の18年12月に再会していて、その時も「すみちゃんの方が きれいなし」「…ほう でもない 思うがの」と優しい言葉を掛けているが…千人針を刺した時か、高等小学校時代か。

なお、上段左のコマで「うわ 何じゃ 気色悪い」と言いながらも、すずは水原哲のおでこに「右手を」あてている。

「皆さんには すずが世話ん なりよります」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p77)

北條家一同驚いた表情を見せる。水原の訪問意図が尋常ではない事に気づく。

「すずん家」ではない

「今晩はすずん家へ 世話んなるかの」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p76)

すずの家ではなく北條家である。すずはp58)「北條のヨメさん」でしかない。

すずは連れ去られ「よそ者」が現れる

「まっ 遠慮のう 言うて 下さりゃ 連れ帰ったり ますわい!」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p77)

親でもない(祝言の時にすずの両親は謙遜ではなくかなり本気ですずが至らない嫁 / 無償の労働力である事を強調していたので、親であればおかしくないが)のに踏み込み過ぎた発言。「はははは」と独りから笑い。青葉の乗員である水原哲が連れ去ることなどできる筈がない。しかしながら、すずは水原哲の振る舞いに呼応して、見慣れない振る舞いをする「よそ者」に変わり、周作が見慣れたすずは何処かへ連れ去られてしまった。それに気づいた周作は、北條家の家長として、家を守るために「よそ者」である水原哲と、「よそ者」に変わってしまったすずを家から追い出す決断をする。

なお、晴美だけは水原哲の言葉を形どおり受け取り、すずと一緒に青葉に乗せてもらえるかも、くらいに受け取っているのが表情の変化から見てとれる。

「もう浦野じゃ なかろうが」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p78)

と言いながら視線を逸らす水原哲。とはいえ、もう「周作達の見慣れた北條すず」でもなくなっている(あるいは、裏の(浦野)すずではなくなっている)すず。

「すずさん ランプは どこかいの」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p79)

この時点で周作は、水原哲を納屋に追いやる事を決断済み。p80)「同期もだいぶ 靖国へ行って しもうて」という水原哲の言葉を聞いてからではない。

「父の居らん間は わしが家長じゃ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p80)

家長としての務めとは、家を守ること。家を守るためには、よそ者を追い出さなければならない。この場面における「よそ者」は、水原哲と、見慣れない振る舞いをするすず。だから周作は、p81)右上のコマで「申し訳ないが わしはあんたを ここへ泊める わけにはいかん」と水原哲だけでなく、p82)中段のコマで玄関に鍵を掛けて、すずも家から追い出した。決してp81)「ほいで 折角じゃし ゆっくり 話でも したらええ」と言葉どおりに思ったからではない(嫉妬からの子供じみた行動という側面はあるかもしれないが)。

「もう会えんかも 知れんけえのう」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p82)

(戦死によって)水原哲とすずがもう会えないかもしれないという意味と、(すずが水原哲について行って)周作とすずが会えなくなるかもしれないという二重の意味で周作が言った言葉。あるいは(これまで主体的な選択をしてこなかったすずに対し)選択を迫る言葉。

左上のコマで、表札が半分(條)だけ見えている

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p82)

中段のコマで(周作の)手が捻っているのは玄関のねじ込み式の錠(=條…そういえばリンへの自己紹介でもすずは錠前に喩えていた。)前。すずが表札を背にして、玄関から締め出される事で、周作の家長としての務めが完遂された。

すずは何を思うのか

左上のコマで、風呂場の扉から外を伺うのは、水原哲の視線を気に(期待)して

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p81)

また、風呂上がりの描写は夜の営みの先行描写であることが多く、読者に何かを予感させる。

2段目左と3段目左のコマで、それぞれ「はあ…」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p81)

2段目左のそれは、さらに長いリーダーが続くが、これは家長に対する軽い異議申し立て。他方で3段目左のそれは、素の自分を見せてしまった事を指摘された事に対する軽い照れ隠し。

下段右のコマで、天秤棒で反撃しようとしているすず

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p75)

そう、すずは反撃しようと思えばできるのだ。


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  • 更新履歴
    • 2022/03/09 – v1.0

1 thought on “第21回(19年12月)

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