テルという名前の由来が示すもの

童謡詩人 金子みすゞ

大正末期から昭和初期にかけて活動した童謡詩人金子みすゞ。彼女の本名はテル。

金子みすゞの出身地仙崎は長門市(第9回のサンの回想レイヤーで、戦艦長門の進水式を祝う幼少期の径子が登場)の一部。

金子みすゞの創作活動の中心地下関は黒村家の疎開先。

砂糖の回の蟻の行列やこの回の南の島の椰子の木は「行商隊」、りんどう柄の茶碗は「茶碗とお箸」、飛行機雲を残すF13(B29の偵察型)を見上げたりする事やビラをまくB29は「田舎の町と飛行機」という金子みすゞの詩がそれぞれ思い出される。

また本作品ではないが、「夕凪の街 桜の国」の冒頭句「広島のある日本のあるこの世界を愛するすべての人へ」は「蜂と神さま」という金子みすゞの詩が思い出される。

すず達の名前や住所の由来

テルの名前が金子みすゞに因んでいるだけではなく、テルと(ある意味)裏表の関係にあるすずの名前もみすゞから「み」(実=子供。金子みすゞには娘が一人いる)を取り除いて名付けられたのかもしれない。そうだとすれば、すみの名前は取り除いた方の「み」に「す」をくっつけたのだろう。

また金子みすゞを最初に見出したとされるのは大正期を代表する童謡詩人である西條八十。北條という姓も西條八十に因んでいるのかも。住所の八百八番も八十が抜けているし(西條八十というのは本名で、苦しいことがないようにと九を抜いて八と十で八十(やそ)と名付けられたそう)。

十分に認められなかった才能

金子みすゞは才能を十分認められたと感じることなく(同年代の投稿仲間は詩集を出せているのに、彼女は出せていない。おそらくは女性だからという理由で)、夫の遊廓通い、詩人仲間との文通禁止、娘の親権問題などに苦しめられ、若くして世を去っている。絵の才能を認められることなく、夫と遊廓の関係で悩み、出した葉書が帰ってこない(※鬼いちゃん宛てだけではない。第6回でも触れたが、後ほど詳しく説明予定)、というところもすずと似通っている。

いろいろ厳しい事情が(でも闇市は健在)

中段左のコマで、柳の木の上の方が切られている

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p108)

第14回p25)上段のコマでは立派な枝ぶりだった。

下段右のコマですずの左手が掴んでいる紐は竹槍に結わえてある

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p108)

敵に奪われても取り戻せるように…ではなく、坂道で手が滑っても竹槍が転がり落ちていかないようにするためだろう。

誰がテルを

テルの左頬には堺川に飛び込んだ時にできたと思われるアザが

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p110)

「あげん小まい川で 死ねるわけが なかとよ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)

実際にはこれが原因でまもなくテルは亡くなる。自分が死ぬとは思っていない、もしくは思われていない(にもかかわらず死ぬ)、という描写は、前の回で葬儀のあったすずの兄の要一自身、すずの母のキセノ、すずの父の十郎にも共通している。他方で同じく前回、すずが、死ぬかもしれないと考えた水原哲、周作は生き延びる。ではすず自身はどうか?

「この頃は次々 船が戻って来て ここは大繁盛やけん」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)

「知らん人っちゃ 知らん人たい」の理由、つまり、多くの兵士を相手にしている中の一人でしかない、ということと、また商売とはいえ多くの兵士を相手にしなければならない厳しいテルの状況や、戦況(北号作戦参加艦艇が2月20日に呉到着)もさりげなく記している。

テルの寝ている部屋は窓の構造や外側に縁側のようなものがあるので本来、部屋の中から客を誘う金魚鉢の筈だが、大繁盛で客を誘う必要もないのか。それで(具合が悪くて働けない)テルにあてがわれたのだろう。

「気の毒 やったと」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)

標準語では「気の毒だったの」

「まあ 好きっちゃ 好き 知らん人っちゃ 知らん人たい」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p111)

もちろんテルを巻き添えに心中を図った若い水兵のことであるが、同時に、すずからみた周作もそんな感じなのかもしれない。そして「なんや 切羽詰まって 気の毒 やったと」もまた、すずの周作に対する気持ちに含まれていたかもしれない。図らずもテルはすずの(意識されていなかった)気持ちを言語化したのである。またこれは(接客中でたまたま出てこれなかった)リンからみた周作なのかもしれず、少なくともすずはそう想像したであろう。

だから下巻p40〜41)ですずが時限爆弾で大怪我して意識が朦朧としていた時に、堺川にかかる小春橋の上のすずと周作、テルと水兵のイメージがすずの中で重なったのである。
さらに聡いすずは考えを進めてしまい、竹槍を鉛筆代わりに何かを描こうと…

右上のコマで竹槍を掴み何かを描こうとしている

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p112)

「暖い(ぬくい)外地へ 渡れば良かった」というテルの発言は2コマ先である。すずは最初に何を描こうとしたのか? 「切羽詰まって」いた若い水兵さんか? すずが描けるということは、それはもしかしてすずがよく知る「若い水兵」?

苦い思い…何が「かなわん」のか

「リンさんに よう似合うて じゃけえ あげます」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p110)

周作に「やる。使うたってくれ」と言われ、水原哲に「普通で…まともで居ってくれ」と言われ、すずが考えた「普通で…まとも」な使い方。

りんどう柄の茶碗は周作がリンと結婚するために使おうとしたものだから、すずがリンに渡してしまえば、もう周作は使うことが出来ない。

「すず お前 べっぴんに なったで」「あんたは 笑うてくれたが うちは 未だに苦いよ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p113)

すずは「未だに」苦い思いをしている。「苦い思い」とは、水原哲に想いを伝えられなかったこと。水原哲は笑って「すず お前 べっぴんに なったで」と言ってくれたのに。伝えることが出来たなら、あるいは自らの気持ちの整理が一歩進んだかもしれないのだが。

「うちは何ひとつ リンさんにかなわん 気がするよ………」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p114)

すずは自分がリンの代用品の代用品だと既に認識している。代用炭団が木炭に直接「かなわん」のは当然のこと。それだけでなく、リンを諦める代わりに周作には(代用品の代用品とはいえ)自分(すず)があてがわれた。つまりリンは(諦めれば代用品があてがわれるくらいの位置づけが認められたという意味で)それなりの扱いを受けたとも考えられる。しかし水原哲がすずを諦めたところで、彼に代わりになる誰かがあてがわれることはない。すずはそういう扱いをしてもらえる存在ではない。そういう「扱い」の差という意味でも「かなわん」気がしたのだろう。

またこの「かなわん」は、すずの想いが「かなわん」(叶わん)という意味にも読める。


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  • 更新履歴
    • 2022/03/10 – v1.0

1 thought on “第25回(20年2月)

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