家族の関係に、何かが秘められている?
「うちは すみとお母さんが トラ年じゃけえ 人気があるのう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p97)
寅年ということは、昭和19年において、すみ18歳、キセノ42歳。これは後ほど第20回(19年11月)を読み解く際の鍵となる。
「……まあ 遠いけえ 日数がかかる んじゃろう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p98)
と言いながら、すず、すみ、十郎は、要一の陰膳に手を伸ばしている。キセノは手を出していない。右上のコマは要一の陰膳。要一はこの時点で手紙が出せない状態になっていたのだろう。キセノが手を出さないのは、食べる気にならないからだろうか。
「手紙書くね すみちゃん」「絶対よ」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p100)
すずとすみは手紙を遣り取りしたのだろうか。(枕崎台風の夜のも含めて)実は遣り取り出来なかったのかもしれない。すずは江波の浦野家の防空壕の場所も知らなかったのだし。
すずにとって、被災する前の広島はこれが最後(そしてその記憶はあるきっかけで呼び覚まされる)
「呉へお嫁に 行った夢 見とったわ !!」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p97)
ハゲが出来るくらい思い悩んでいたすず。呉での嫁としての重労働が夢だといいなと思っていたのか、それとも好きな人と結婚できなかったことが夢だといいなと思っていたのか。それが後者であることが第7回(19年4月)で描かれる。
(記憶を呼び覚ます)広電453号
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p101)
453号は江波付近で被災大破し復旧した車両。1946年1月復旧(1969年10月廃車)。復旧の頃に、すずは広島を再び訪れることに。恐らくその時に見かけて、それをきっかけにこの里帰りの事を思い出したのだろう。
中段左のコマで、頭を抱えながら駅から出てくる人が描かれている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p104)
恐らくすずより前に切符を買いに来て買えなかった人。すずは広島駅を写生していてこの人に気づき、切符を買い「そびれ」たことにも気づいた。
「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」では、色々「そびれ」ながらすずが不在の呉の北條家の様子が描かれる。
すずの想い
「うち今 思いがけず」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p99)
「陸軍の機密」が、こっそり食券をくれる+(すみが好意を持つ)美男子の少尉なので、「海軍の機密」はハゲ+(すずが好意を持つ)海軍への志願兵(=水原哲)。すみがどこまで意識して言ったかは定かではないが…
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- 2022/02/25 – v1.0
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