第13回(19年8月)

The view from Mt. Haigamine

暑さで鈍る思考

左下の2コマで晴美に気づかず躓く

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p11)

暑さで思考が鈍っている。砂糖壺を水瓶に浮かべる(迄台詞が無い描写も、すずの認識力の低下を反映している。)という、前回「第12回(19年7月)」の軍艦写生に続く些か非常識な思いつきの伏線。

下段右と中央のコマの、妙に広い上側のアキ

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p13)

暑さのあまり通常の思考が止められてしまって「頭が真っ白な状態」である事を表している。

上段左のすずの思いつきの図解

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p13)

水で蟻を防ぐなら、菓子鉢に水をはって真ん中に砂糖壺を置くだけで良かったのに、前のコマで晴美が巾着に入れる提案をしたものだから、ついそれ(ぶら下げる巾着)の拡大版として、水瓶の中に砂糖壺をいわば「ぶら下げる」発想に至ってしまったすず。

なお、水瓶は陶器製だが、焼成の過程で降りかかった灰が溶けて釉薬代わりとなる鉄自然釉と呼ばれるものだと思われる。水瓶鉄、ということで、水原哲の名前の由来かもしれない。

家父長制下での過酷な家計(すずの予想を含む)

左上のコマにサンのへそくり

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p14)

1円紙幣6枚、5円紙幣2枚で合計16円。なので今月の生活費は9円。砂糖の配給停止は8月1日で、巡査の初任給が45円の時代だから、生活費は給料のほんの一部。つまり周作は結婚後も、二葉館で遊ぶくらいのお金を持っている筈。

  • (これは後ほど「第30回(20年5月)」でこっそり描かれる「あること」の前提になる)

「ヤミ市で 買うて 来んさい」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p14)

サンが怒ることもなく虎の子のへそくりを差し出すのは、すずが「第9回(19年5月)」で国民学校まで連れて行ってくれた事について、とても感謝していることも背景にあるのだろう。晴美は大金であると判らず驚かないが、すずは驚いている。

「いまにお砂糖が」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p18)

ヤミ市を知らなかったとおぼしきすずにしてみれば突然のハイパーインフレなので、さらに想像をたくましくするのも無理はない。

  • 砂糖150円もキャラメル100円超えも靴下3足千円も勿論現代の普通の価格。
  • 加えて戦後直後の「第43回 水鳥の青葉(20年12月)」下巻p122)では砂糖1斤180円。

「一斤(六百g) 二十円」「はっ 配給の 六十倍……… ………」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p16)

では、配給は幾らだったのか。

年月価格/kg価格(ヤミ)/kgヤミの倍率
S342銭
S635銭
S1140銭
S1343銭
S1445銭(公定)
S1853銭(公定)6円67銭約12.6倍
S18.1259銭(公定)13円33銭約22.6倍
S1959銭(公定)40円約67.8倍
第13回(仮定)35銭/1斤20円/1斤約57.14倍
S19.91円33銭(公定)80円約60.15倍
砂糖の価格の推移(「社長コラム『砂糖の価格をどう見るか??』〜最終回〜」を参考に作成)

1斤35銭なら1kgは約58.3銭と59銭に近く、暗算もしやすいキリの良い数字でもあるから、そのように仮定すると、約57.14倍。なるほど約六十倍である。

『二銭銅貨』

  • しかしヤミ市のおやじ相手に配給からの精密な倍率を告げる意味はなく、普通にざっくり「五十倍以上~!?」で良い筈である。
  • しかも表を見ると
    • (砂糖配給停止後の9月に、何の意味があるのか公定価格が引き上げられた結果、再び六十倍程度に下がっているが)
      • 昭和19年のヤミ価格 40円/kg は公定価格の70倍に近く
      • また単純に 1斤20円 を1kgに換算しても、約33.3円/kg なわけだから
    • 1斤20円 というのは 40円/kg と比較すればかなりの安値という事になる。

何故こんなに安いのか。

  • 別にすずがこの物語の主人公だからまけてくれたとかいうのではなく、実は、
    • 二十や六十という数字に意味があるのである。
  • 波のうさぎ(13年2月)」ですずは、上巻p35)「あっ お母ちゃん 二銭ちょうだい」 と言っていたが、既に触れた通り、二銭では鉛筆は買えない。
  • それ以外にも敢えて「二銭」な理由があって、それは、江戸川乱歩のデビュー作『二銭銅貨』を読者に想起させる為なのだ。

二銭銅貨』では

  • 主人公達が質屋を説き伏せて手に入れたのが二十
  • 二銭銅貨』の作中で登場する暗号を解くために主人公の相方が呼んだ按摩の代金が六十

となっている。この二十六十が、この回では意識されているのだ。

  • また、『二銭銅貨』の作中に登場する泥坊(どろぼう)が盗んだ額が万円。これは「第6回(19年3月)」で十郎が上巻p100)「おこづかい 好きに使え」とすずに渡した額…と言いたい所だが、流石にそれは法外な額なので
  • それから、『二銭銅貨』の作中で登場する暗号は「南無阿弥陀仏」という6文字だけが書かれていたものだったが、これは浄土真宗でも唱える念仏。「第19回(19年11月)」で「南無妙法蓮華経」について触れる予定だが、呉では浄土真宗が多いので、それも踏まえているものと思われる。

さらに重要な示唆がある。それは、『二銭銅貨』の作中では、あるものの「偽物」が登場し、それが物語を進める原動力となっているのだが、この物語『この世界の片隅に』でも「偽物」が登場する。

  • 一つは「第20回(19年11月)」のある相談内において(詳細は「第20回(19年11月)」を参照ありたい)。
    • そして、この回「第13回(19年8月)」や「第20回(19年11月)」で「偽物」が示唆されているのには勿論「ワケ」がある。
  • それは、もう一つの「偽物(…というか〇間違い)」がこの物語にはあるからで、かつそれがこの物語『この世界の片隅に』を進める原動力となっているからなのだ(詳細は「第44回 人待ちの街(21年1月) 」を参照ありたい)。

さて、ここまで『二銭銅貨』を読者に意識させた以上、この物語『この世界の片隅に』にも暗号が仕掛けてある筈だ。

盗んだ金の最も安全な隠し場所を、予め用意して置いたに相違ないんだ。さて、世の中に一番安全な隠し方は、隠さないで隠すことだ。衆人の目の前に曝して置いて、しかも誰もがそれに気づかないという様な隠し方が最も安全なんだ。

江戸川乱歩(1923)『二銭銅貨』より抜粋

だそうである。

この物語『この世界の片隅に』で最も安全な隠し場所はどこか。隠さないで隠す。そう、目の前にあるこの題名『この世界の片隅に』に秘密の鍵があるのだ。

その暗号の解読方法は…

STEP
いろは順を当て嵌める

「第23回(20年正月)」で登場する 愛國いろはかるた の「いろは順」を、この物語『この世界の片隅に』の全話(「冬の記憶(9年1月)」から「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」まで)に順に当て嵌める。愛国いろはかるた は47枚だが、全部で48話あるので、ここでは「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」に「ん」を当て嵌めておく。

STEP
数字を拾う

『この世界の片隅に』つまり「このせかいのかたすみに」の各文字に該当する回数の数字を拾う。「い」は「冬の記憶(9年1月)」で回数が無いので「0」、つまり存在しないものとみなして拾わない。

STEP
計算する

拾った各数字の十の位と一の位のそれぞれの数字を足して、さらにその結果を合計すると「48」になる。これはこの物語『この世界の片隅に』の全話数である。

Step1 の作業結果を表にすると以下の通り

スクロールできます
1234567891011121314151617181920212223242526272829303132333435363738394041424344
「 Step1 の作業結果の表」 ※冬 = 冬の記憶、大 = 大潮の頃、波 = 波のうさぎ、終 = 最終回

そして、Step2、Step3 の作業結果を表にすると以下の通りである。

スクロールできます
 
Step230234311023111344381
Step335720524811148
「 Step2、Step3 の作業結果の表」 3+5+7+2+0+5+2+4+8+11+1=48 となる

これだけだと単なる数遊びであるが、これには2つ意味がある。

  • 山代巴編著『この世界の片隅で』の題名そのままでは Step3 で合計数が「48」にならない(「で」を「て」と見做しても「52」になる)。この物語の題名を
    • 『この世界の片隅』ではなく敢えて
    • 『この世界の片隅
  • にした理由の一つがそこ( Step1~3 で示した暗号の解き方が出来るようにすること)にあるのだろう。
  • Step2 で「冬の記憶(9年1月)」は存在しないものとして拾わなかった。
    • 実は「第35回(20年7月)」下巻p57)でも同様に、すずの記憶では「冬の記憶(9年1月)」が存在していない様が描かれている(右手の記憶が並んでいる筈なのに「冬の記憶(9年1月)」に該当する記述だけ「無い」)。
    • 「冬の記憶(9年1月)」は実はすずにとっては「存在しない」というこの物語の重要な仕掛けが、これらによって示唆されているのである。

この読み解きが、『二銭銅貨』の主人公の相方のような結末にならないことを願いつつ…

朝日遊廓への道

左上のコマ、晴美の下駄は大人用

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p12)

デザインからみて、径子の下駄を履いていると思われる。子供用の自分の下駄もある筈だが、鼻緒が切れたりしたのだろうか。

  • また、径子はこの時不在のようだ。
    • それを示すために、晴美に径子の下駄を履かせたのだろう。
  • そして不在の理由は、「第17回(19年10月)」で伯父に紹介状を書いてもらってはいるものの、それに先立ち自ら勤め先を探すために出かけていたからかもしれない。
    • そのおかげ(?)で、すずは貴重な砂糖を見事に全損し、朝日遊廓に迷い込む展開に繋がっている。

中段右のコマですずの前にいる人は左隣のコマに繋がっている

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p15)

この前後3コマは影の向きが違う。時間がさほど経過していないなら、すずは左旋回していることになる。

  • 1コマ目は、前頁p14)で見ていた(おそらくヤミ市への道順を書いた)メモを片付けているので三ツ蔵の前だとすると、すずの右後ろに影が伸びているので、正午前後の時間帯だろうか。

東泉場(ヤミ市)から朝日遊廓へも左折だが、p18)で太陽の向きはそのままにすずは左旋回している。ヤミ市での買い物を済ませた帰りだから、ちょうど最も暑い時間帯である。

「ほいで ここは どこね!?」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p18)

すずの右側に半分だけ見える人は誰? 朝日遊廓にアッパッパ姿の人は見当たらないが。


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  • 更新履歴
    • 2022/03/03 – v1.0
    • 2023/03/03 – v1.0.1(関係する投稿のリンクを追加)
    • 2023/03/13 – v1.0.2(「次へ進む」のリンクを追加)
    • 2023/07/17 – v1.1(晴美が径子の下駄を履いている理由と、影から推定した時間帯を明記し、読み易さを改善し、第9回へのリンクを追加)
    • 2023/10/24 – v1.2(「一斤(六百g) 二十円」「はっ 配給の 六十倍……… ………」を追記)
    • 2023/10/25 – v1.2.1(表の体裁を修正)
    • 2023/10/26 – v1.3(『二銭銅貨』を追記)
    • 2023/10/27 – v1.3.1( Step2、Step3 の作業結果の表を追加)
    • 2023/10/30 – v1.3.2( Step1 の作業結果の表を追加)
    • 2023/11/01 – v1.3.3(誤字修正)
    • 2023/11/15 – v1.3.4(リンク切れを修正)
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