誰が、いつ語って(かいて)いるのか

「此れは不幸の手紙ではありません」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p141)

人生相談の回で触れたように、当時出回ったのは幸運の手紙であって、不幸の手紙はなかった。だからこのように断っているということは、この手紙は21年1月当時に語られた(かかれた)ものではない。

「だってほら 真冬と云ふのに なまあたゝかい 風が吹いてゐる / 時をり海の匂ひも 運んで来る」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p141)

「海の匂ひ」はもちろん亡骸の匂い、「なまあたゝかい風」は腐敗による温度上昇が齎しているものだろうか。この「しあはせの手紙」が語られている目の前に、誰かの死体があるのかもしれない。

黒い人影はばけもんと同じく相生橋(p138)の相生橋と同じ傾きの欄干と柱がある)を渡って広島駅方面へ。多分孤児の少女。

「貴方などこの世界の ほんの切れっ端に すぎないのだから」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p146)

白い布で包まれた桐箱は「波のうさぎ」の水原哲の兄を連想させるが、あるいは「海の匂ひ」のもととなっている亡骸が漸く火葬されて桐箱に遺骨が納められたということだろうか。

(「この世界の片隅に」すずを見つける迄の)孤児の少女の居場所

「道では何かの破片が きらきら笑ふ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p141)

道には髑髏が描かれている。原爆投下後の死体は衛生の観点からも兎に角焼かれては埋められていたので、ここに見えるのは一度埋められた死体が何らかのきっかけで地表に出てきてしまったものだろうか。

コマの枠線が他のコマと揃っていないので、多分ここから過去の様子に切り替わっている。新聞紙か何かを集めて次のページで布団代わりにしている。

左下のコマで、孤児の少女の母親の右手と海苔が大きく描かれている

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p142)

孤児の少女が見た、最後の普段の生活。「貴方の背を撫づる 太陽のてのひら / 貴方を抱く 海苔の宵闇」はそれらからの連想であろうか。

「貴方の背を撫づる 太陽のてのひら / 貴方を抱く 海苔の宵闇」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p142)

この2コマは同一の場所。「海苔の宵闇」では遠くに(孤児の少女の母親が最期を迎えた場所の脇にあった柱に似た)柱が見えるが、もしかすると、孤児の少女は自宅近辺から離れたくなくて、そこに寝泊まりしているのかもしれない。

右手

孤児の少女の母親の右手だとすると

p142)「貴方の背を撫づる 太陽のてのひら / 貴方を抱く 海苔の宵闇」の「貴方」が孤児を指し、8月6日まで「右手」が「貴方」の背を撫で、抱いてきた代わりの「太陽のてのひら」「海苔の宵闇」であるとすれば、この「右手」はこの孤児の少女の母親の失われた右手ということなのだろうか。

他方で「右手」がはじめて読者に姿を見せるのはすずが右手を失ったすぐ後のp42)で、20年6月だから、その時点では孤児の少女の母親の右手は失われておらず、その時点の「右手」の主が判らなくなってしまう。

もちろん、孤児の少女の母親はリンの過去も径子の経験も知らない。

すずの右手だとすると

リンの過去は「右手」がテルの紅で、孤児の少女が広島をさまよう描写は「右手」が鉛筆で描いている体裁だが、リンの過去も孤児の少女やその母親の経験も、すず(の右手)は知らない筈。

そして「右手」がはじめて読者に姿を見せるのはすずが右手を失ったすぐ後のp42)だが、その時点ではすずの右手が失われたことが明確には描かれていない。現実を表す太い枠線のコマ内の「包帯を巻いたすずの腕」とすずの回想を表す細い枠線内に鉛筆書きする「右手」の位置関係は、すずの右手が(大火傷などはしていても)まだ原形を留めているかのように読者に思わせるものである。

右手についてすずが「昨日 ない事を思い知った」のはp56)の20年7月であり、このp42)の、右手が失われたことがすずの主観では認識されていない時点、かつ読者にもすずの右手がどういう状態か判らない時点で、初めて「右手」が姿を現すのは、「右手」が単純にすずの右手ではないことを伝える意図があると考えられる。「右手」がすずが失った手首だけでなく前腕部まで描かれていることも、この考えを補強する。

すずの右手ではないとすると…?

「ちょっとだけ、奇蹟が」に続く…

死ぬのは誰か

「留まっては 飛び去る正義 / どこにでも宿る愛」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p142)

似た表現のp94)「この国から正義が飛び去ってゆく」の直後に太極旗を見て、それまで信じていた正義が暴力に過ぎないことにすずは気づいた。

恐らく国が勧めていたように、夫が戦死してなお賢母たらんと務めていたであろうこの孤児の少女の母親は、原子爆弾で全てを失って、その正義が単なる暴力の応酬に過ぎないことに気づいただろうか。

上段のコマで、左手で娘の手を引く母親

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p143)

p38)左下のコマで、「右手に 風呂敷 / 左手に 晴美さん」と、もしそうであれば(すずは助からないが)晴美が助かった筈というすずの空想そのままに、母親の身体が盾代わりになって娘(孤児の少女)は助かるが、母親の命は尽きて、原子野のただ中に娘を一人取り残すことになる。

「そして / いつでも 用意さるゝ 貴方の居場所」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p143)

中段のこの2つのコマは、背景が繋がっていることから、母親が娘の手を引いて歩けたのはほんの数歩であることが判る。このような状態にあっても、母はがれきに腰掛ける時「いつでも 用意さるゝ 貴方の居場所」として左隣を空けている。

この5ヶ月後、新たな居場所としてすず(の右腕)が用意される。

「ごめんなさい / いま此れを読んだ 貴方は死にます」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p144)

生きる長さに長短はあるが、誰もが必ず死ぬ。そういう意味では間違っていない。晴美や孤児の少女の母親、読者だけではなく、すずも周作も。

ここでも、次のコマとコマの枠線が揃っていない。時間が切り替わっている。

何を「そびれ」たのか

「すゞめのおしゃべりを 聞きそびれ / たんぽゝの 綿毛を 浴びそびれ / 雲間のつくる 日だまりに 入りそびれ / 隣に眠る人の夢の中すら知りそびれ / 家の前の道すらすべては 踏みそびれ乍ら」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p144)

径子の膝の継ぎがなく(柄も19年3月に晴美を連れて北條家に戻ってきた時のものと同じ。サンの寝間着の柄も同じ。)、円太郎はヘルメットをひっかけ、周作が一人で寝ていて、晴美がスカート姿で回覧板を回し、たんぽぽの綿毛が飛んでいる(概ね4〜6月頃)ことから、すずが里帰りしている数日の間。

という事はこれはすずが里帰りで見た「呉へお嫁に 行った夢 見とったわ !!」の夢の続き。翌日十郎に「買いそびれて」と言われたので、それが頭に残ったまま見た夢。

周作の広島電鉄への再就職(※後述のとおりであれば)を聞き、さらに復旧した453号を見かけたすずが、結婚後初めての里帰りで453号を見かけ、スケッチに夢中になって切符を「買いそびれ」浦野家でもう一泊した時の夢を思い出し、あるいは周作に話したのだろう。

「家の前の道すらすべては 踏みそびれ乍ら」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p145)

晴美の周りにやや無理矢理な感じで竹が描かれているが。晴美が突然すず(と読者)の前に現れて突然去っていったことを、かぐや姫のようだと連想させるためだろうか?

そういえばかぐや姫が成長するのに要した期間は3ヶ月。すずが周作を忘れるのに要した期間と同じ。

「ものすごい速さで 次々に記憶となって ゆくきらめく日々を / 貴方は どうする事も出来ないで / 少しづゝ 少しづゝ小さくなり / だんゝに動かなくなり / 歯は欠け 目はうすく 耳は遠く / なのに其れを しあはせだと 微笑まれ乍ら」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p145)

一番その状況に年齢的に近いのはイトだが。晴美にはそうなる機会もなかった(しそびれた)ものでもある。

「皆が云ふのだから さうなのかも知れない / 或いは単にヒト事だから かも知れないな / 貴方などこの世界の ほんの切れっ端に すぎないのだから」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p146)

他人の桐箱を懐かしむ様子を描くことで、孤児の少女が8月6日から5ヶ月以上経過しても、8月6日の朝までの「ものすごい速さで 次々に記憶となって ゆくきらめく日々を」「どうする事も出来ないで」ただ抱え続けていたことを示している。

またそうなる機会のなかった(しそびれた)晴美にとってはヒト事。自分の身に降りかかる迄は他人の不幸もヒト事なのと同じように。

それが、語り継ぐ動機になる

「あんた… / よう広島で 生きとって くれんさったね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p149)

「あんた…」のコマではまだすずは座っている。「よう広島で 生きとって くれんさったね」のコマではすずは立って(おそらくは歩きながら)孤児の少女の右手を握っている。孤児の少女の左手はすずの右腕を離さない。カラー頁の見開きでも最後のコマでも。

広島で生きていた孤児の少女は、広島で生きていた彼女の母親のことも、そしてこの後聞き出すのであろう晴美やすず自身のことも、(彼女達が亡くなった後も)語り継ぐことが出来る立場にある。あるいはそれこそが「居場所」の大切な意味なのかもしれない。

8月6日から5ヶ月を(物語上)必要としたのは、

  • 周作との約束を果たすためには20年10月からさらに3ヶ月必要だった(3ヶ月必要な根拠は描かれていないが、あるいはすず(や読者)にとっての晴美と同じように突然現れて去って行ったかぐや姫が成長に要した期間が3ヶ月であることに因んでなのかもしれない)。
  • 孤児の少女が8月6日の朝までの「ものすごい速さで 次々に記憶となって ゆくきらめく日々を」長い長い間「どうする事も出来ないで」ただ抱え続けていることが、彼女が後にそれ(やすず達のこと)を語り継ぐ動機となり得るから(単純に言えば、「しそびれた」感が日に日に高まっていく、ということ)。原爆投下後の体験を語る方々がそうであったように。

「この世界の片隅に」連載時の実際の年の「平成」を「昭和」に読み替えると連載の年月に概ね一致するというよく知られた仕掛けは、すずが体感した時間経過を読者も体感できる、という趣向であるが、それは同時にこの語り継ぐ動機 =「しそびれた」感も同様に読者に体感して貰える、ということなのだろう。

そこに巧みに導かれる孤児の少女

「しっ しっ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p146)

吹き出しの背後で、前のコマで座っていた人がベンチを立ち去り、入れ替わりにすずが座ろうとしている。次のコマで転がる江波巻きは、片手でしか持てないすずが座ろうとしたはずみで落としたと思われる。そのため、そのベンチの裏側にあった桐箱に近づいてすぐ追い払われた孤児は、転がった江波巻きを拾うのに、そしてまた、すずの右腕を見つけるのに、丁度良い位置に導かれた形になる。

「しかも その貴方すら / 懐かしい切れゝの誰かや何かの 寄せ集めにすぎないのだから」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p146)

抱え続けていたきらめく日々、懐かしい切れゝの寄せ集めが、実際に目の前に、母親と同じように右手をなくした一人の女性、すずとして現れたように、孤児には思われたのだろう。

食べ物が、居場所に導く

中段左のコマで、転がった江波巻き

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p146)

上巻p40)でお弁当として持たされているように、江波巻きは浦野家でよく作られていたのであろうし、浦野家同様海苔養殖をしている草津の森田家でも作るだろう一方で、周作の持ち物はp147)中段のコマや下段左のコマで開けようとしている水筒のようなもののようなので、この江波巻きは、周作ではなくすずが(草津の家を出るときに)持たされた筈。

ということは、江波の浦野家にいた三兄妹に分け与えることもできたはずだが、すずはそうしなかった。

上段右のコマで、すずは江波巻きを左手に持っている

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p147)

前のページで落とした江波巻きは既に諦めて拾おうとしていない。江波巻きを包んでいた竹の皮にはご飯粒が。

「ええよ 食べんさい」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p147)

地面を転がったのでおそらく砂まみれの筈。

「呉はうちの 選んだ居場所 ですけえ」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p148)

p147)右上のコマで竹の皮に付いていたご飯粒が、p147)左下のコマでは、すずの頬を居場所に選び、それを取って口にした孤児の少女はすずの右手を居場所に選んだ。すずは自分が「居場所」と口にした時に、孤児の少女がそうした振る舞いをしたので、孤児の少女が自分を居場所に選んだ、と感じ取ったのだろうか。江波にいた三兄妹(やその他見かけたであろう多くの子供達)とは違って。

最後まで(そしてこれからも)重くのしかかる家父長制

「でも 遠うて 大変ですね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p147)

p137)「上官の口ききで 再就職も何とか なりそうじゃ」という事で(あるいは21年1月8日に広島市に設置された復興局かもしれないが…)広島で見つかった仕事が、もし復旧した広島電気軌道(の453号)なら、20年9月に廃校になった広島電鉄家政女学校の生徒達の職を(とてもとても間接的にではあるが)奪った形にも思える。

「うちもこっちへ 通えます」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p148)

「通います」ではなくて。あくまで可能性。周作の許可があれば、ということ。

すずは独りではない

「その向こうが 広島よ」「ありゃ? 寝んさったかね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p150)

周作の九つの嶺の説明の合間にすずの発言がはさまっている。

三角兵舎が海苔の乾燥台のように並ぶ

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p151)

p65)で広島へ帰ることを夢想したのと似た構図だが、すずは独りではないし、駆け出してもいない。

(カラー頁のお陰か)ちょっとだけ、奇蹟が

すずの右袖を掴んで離さない孤児の少女

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p151)

よく見ると、すずの右手が…あるような?

「今わたしに 出来るのは このくらゐだ / もう こんな時 爪を立てゝ / 誰の背中も掻いてやれないが / 時々は かうして 思い出して お呉れ / 草々」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p152)

「このくらゐだ」は、すず達と孤児の少女を引き合わせたことだろうか? それともシラミで痒みを引き起こしたことだろうか? あるいは前頁のすずの右手だろうか?

「かうして 思い出して」欲しがっている「わたし」が、亡くなった誰かだとすると、

  • 要一(北條家ではすず以外は思い出せない)
  • キセノ(すず以外はあまり思い出せない)
  • 十郎(すず以外はあまり思い出せない)
  • 孤児の少女の母親(孤児の少女以外は思い出せない)
  • 晴美

のうちの誰なのか?

これらの登場人物のうちの誰かだとすると、論理的には(また「晴美の服じゃ 小まいかねぇ…」という台詞の隣に「かうして」とあることからも)晴美しかいない。そういえば、郵便配達人も晴美と同じく左利きだった。

そして晴美が「か(掻)いてやれない」代わりに「か(書/描)いて」いるのだ。その左利きの(ようにみえる)あの人が。

「晴美の服じゃ 小まいかねえ…」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p152)

刈谷が息子の服を交換したのと対照的に、径子は晴美の服を物々交換に出していなかった。形見という意味合いもあろうが、元々自分が着ていた服でもあり、あるいはすずと周作にいずれ子供が生まれたら着てもらおうという心遣いがあったのかもしれない。


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  • 更新履歴
    • 2022/05/09 – v1.0
    • 2022/05/17 – v1.1(「語り継ぐ動機」と、連載時の実際の年の「平成」を「昭和」に読み替えると連載の年月に概ね一致するというよく知られた仕掛けとの関係を追記)

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