第23回(20年正月)

The view from Mt. Haigamine

「オリジナル」について

「愛國いろはかるた」の絵柄は様々なものが存在しているようで、その中からとりあえず絵柄が(この「第23回(20年正月)」で描かれているものと)ほぼ一致するものも含まれるセット(日本玩具統制協會が1943(昭和18)年12月10日に発行した「愛國イロハカルタ」)を「オリジナル」ということにして以下を記述している。

この「愛國イロハカルタ」の句は、下記リンク先の記事によれば一般公募されたそうだ(応募総数約26万)。

関連回

多くの札が、「第23回(20年正月)」以前のみならず、その後の回とも大きく関係している。それを関連回として掲げているので、適宜参照されたし。

副題の時期の表記が、他の副題に倣えば1月のところ正月となっている理由

正月は1月でも特に三が日や松の内を指すことが多い。カルタは、そうした新年の祝いをする期間にするものだから、という事がまずあるだろう。

そして「第20回(19年11月)」で、手塚治虫が「マァチャンの日記帳」で1946(昭和21)年1月にデビューしたと触れたが、1946(昭和21)年1月1日付号に(満年齢17歳であるが「みなさんと同じクリクリ坊主で、十九歳のお兄さん」として紹介された)予告が掲載され、1946(昭和21)年1月4日の正月号から掲載開始されていて、そのことも意識してなのかもしれない。

加えて、その手塚治虫の「手塚治虫のマンガの描き方」では漫画のテーマについて

「いろはカルタからテーマをもらったり」

「手塚治虫のマンガの描き方」228頁目より引用。

という記述があり、この回の手法はそれも踏まえてのことだろう。

そしてその記述のすぐ後に

「テーマは、ほんの少し匂わせる程度でいい」

「手塚治虫のマンガの描き方」228頁目より引用。

とあって、この物語「この世界の片隅に」が、表向きのテーマ(戦争とか)は用意しつつ、実際のテーマはほんの少し匂わせる程度で秘められた形になっている(しかもこのサイトの一連の投稿の通り、恐ろしく手の込んだやり方で)のも、この手塚治虫の教えを踏まえてのものなのだろう。

「愛國いろはかるた」を取り上げた、もう一つの理由

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p91)

加えて、この回で「いろはかるた」…というか「いろは順」が取り上げられているのは、「第13回(19年8月)」で触れたように、この物語(の題名)に秘められたある暗号を解く為に「いろは順」が必要だから。

皮肉

「伊勢の 神風 敵國降伏」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p91)

オリジナルと似た絵柄だが、オリジナルにはない短冊様の帆とその上に人が追加されている。また、船上の「敵国」側の人も、オリジナルは単に平伏しているだけだが、応戦している。

つまり、読札の内容に反して、敵国が降伏どころか多勢であることを描いている。

「ほまれは 高し 九軍神」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p91)

オリジナルと同じ絵柄だが、桜の花びらが4枚から9枚に増えている。

「ほまれ」と持ち上げているようで、その実一人一人を全く尊重していない様子が見て取れる事を表している。

「平和な 島々 日の御旗」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p92)

オリジナルは褐色の子供が日の丸の小旗を振るというものであるが、それとは全く異なる、文字通り島々に日の丸が掲げられているという絵柄。

つまり平和でもなんでもなく単に占領しているだけ、という事。

他国の旗を掲げられるのがどのような気分なのか、この有名な写真で実感できるだろうか。

Historic photo of the raising of the American flag over Iwo Jima, taken by Joe Rosenthal of the Associated Press, February 23 Joe Rosenthal, Public domain, via Wikimedia Commons

この有名な写真「Raising the Flag on Iwojima」が撮影されたのは1945(昭和20)年2月23日。この回の話数23と同じ日付だ。

そしてこの占領されている状態。実は今も続いているのだ…(「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」の「(カラー頁にはなっても)「左手で描いた世界」のままなのは」を参照されたし。)

「錬成で のびる 少國民」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p93)

オリジナルが体操服姿の男の子と女の子であるのに対し、竹刀を持った教官と鉄棒にぶら下がる子供の影が手前に長く伸びている様子が描かれている。

「伸びているのは影だけ」であることから、無理強いされている竹やりの軍事教練といったものが中身のないものであることを皮肉っている。

「打つて 鍛へる 日本刀」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p95)

オリジナルは桜の紋章を背景にした日本刀であるが、桜の紋章の代わりに金床と槌をあしらっている。

桜の紋章、すなわち精神論では日本刀は鍛えられず、相応しい道具が必要ということで、相応しい道具も十分な兵站も用意しない日本の精神論に頼りすぎた戦争遂行を皮肉っている。

「慰問袋に 手紙を 入れて」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p95)

オリジナルは「ヘイタイサンヘ」と特定の誰かへ宛てたものではない手紙と慰問袋

これに対し、同じく特定の誰かへ宛てたものではない手紙と慰問袋を準備するすずと円太郎であるが、どう見ても長すぎる手紙は

  • 円太郎の、止まらない科学話を想起させるとともに
  • 最終回「しあはせの手紙(21年1月)」もまた、特定の誰かに宛てたものではない、長すぎる手紙である

ことを想起させる。

そして、その宛先の一部であろう読者はだから、「ヘイタイサン」と同じく戦場 / 地獄 / 悪夢の中に居るのだと暗に告げられている。

その(読者が居る)地獄というか悪夢が何であるかは「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」の「(カラー頁にはなっても)「左手で描いた世界」のままなのは」を参照されたし。

「すぐれた 國柄 世界が仰ぐ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p98)

星印が描かれていること以外はほぼオリジナルと同じ

何も描き加えるまでもなく、ただ取り上げるだけで皮肉になってしまうという皮肉。

左右が逆

「東亜を 結ぶ アイウエオ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p92)

黒板消しの位置まで同じでありながら、オリジナルが黒板に向かって左側からの構図であるのに対し、右側から、しかもかなり低い位置からあおる構図。

尋常小学校では1年生で片仮名、2年生で平仮名を習うと「第16回(19年9月)」の欄外にも注がある。リンだけでなく、久夫も、だ。すると「第27回(20年3月)」で送られてきた教科書に添えられた漢字がふんだんに使われた手紙は一体誰が書いたのだろうか。久夫の祖父母が「大和ヲ見ニ行キタイデス」などという文面を代筆するだろうか(行かせたら帰ってこないかもしれないのに)。

「村も増産 町も増産」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p94)

オリジナルは穂を垂れる稲であるのに対し、似ているがまだ穂を垂れる前の稲を左右逆の方向から下からあおるアングルで捉え、かつ珍しく大きく描かれた雀が2羽羽ばたいている。

「野こえ 山こえ 強行軍」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p95)

オリジナルは一見遠足風の男の子と女の子と背景の山々であるのに対し、トンネルから出てくる汽車と、次の「お」で登場する桃太郎一行のシルエットが描かれている。トンネルを通過する汽車はすずの嫁入りの際に描かれているものとは左右逆向き。

桃太郎が径子ならば、広島に居る鬼いちゃんを呉から成敗に行く、ということで汽車が嫁入りの際とは逆向き(広島←呉)なのも頷けるところだ。

「水だ バケツだ 火たたきだ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p97)

オリジナルとほぼ同じ構図だが、バケツの水が火たたきの房のようにはねている。恐らくはその動きある構図の都合上、バケツの取っ手が反対側に倒れている。

「笑顔と 笑顔で 明るい職場」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p98)

オリジナルは国民服で笑う男性2人。これに対し、挺身隊で働くすみとその同僚の女性が描かれている。

  • すみと同僚は
    • 服装も顔つきも違うものの
    • 互いに笑顔で手を合わせていたりするので
  • 鏡に向かっているかのようにも見える。
  • 鏡に向かうと左右逆に見えるものだが
  • すみの名前を逆に読むとミス、つまり間違いだ。

すみは1926(大正15 / 昭和元)年生まれだが、この年の大正から昭和への改元の日の12月25日に、東京日日新聞が大正の次の元号を(※昭和であるところを光文と)誤って報じるという間違い(ミス)が生まれている。

  • なお、この東京日日新聞は
    • 「第20回(19年11月)」で触れた手塚治虫のデビュー作「マァチャンの日記帳」が掲載された少國民新聞の作成元である大阪毎日新聞の傘下で
      • 社長は大阪毎日新聞の社長が兼務していた。
    • しかも「第20回(19年11月)」と言えば
      • すみの年齢を指し示していた相談者(法事に来たる女学生 十七歳)の相談内容が「前からの女工さんと 仲良く出来ません。」という挺身隊での一コマであるから、(すみが登場する)この札と(状況は違えど)場面は同じだ。
        • この間違い(ミス)、あるいは
        • その日付である1926(大正15 / 昭和元)年12月25日を
      • 想起させる仕掛けは、周到に用意されていたものなのだ。
        • すみが生まれた日も、あるいはその日(この間違い(ミス)が生まれた日)なのかもしれないな。

そしてこのときは大正から昭和だが

  • この物語の舞台である昭和に着目して
    • ミスをスミ( = すみ)とひっくり返すように
      • 昭和を起点に入れ替えるとすれば
    • 昭和から平成
      • つまり、『この世界の片隅に』連載各話に付された年月を
        • (描かれている時代から想定される)「昭和」ではなく「平成」と読み替えると
          • 雑誌連載時の実際の年月に概ね一致する
      • というよく知られた仕掛けに通じるようになっている。

で、ミスはもうひっくり返しているので、連載各話に付された年月に「昭和」とも「平成」とも書かれていないのはミス(誤植)じゃない、というわけ。

「もんぺで 働く おかあさん」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p98)

オリジナルは掃き掃除をする女性のみ。これに対し、割烹着を着て(人生相談の回である「第20回(19年11月)」とは)左右逆に箒を持った径子と掃除を手伝う晴美が描かれている。

戦時体制

「日本晴の 天長節」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p91)

オリジナルは似た向きの日の丸の国旗のみだが、それを掲げるすずが描かれている。

すずもまた、国旗 = 戦時体制を支える一員であることを示唆している。

「小さいこと から 大きな発明」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p92)

竹とんぼと日本のレシプロ軍用機を題材としているところは同じだが、オリジナルが竹とんぼを主体に大きく描いているのに対し、晴美に小さな竹とんぼを飛ばさせて、逆にレシプロ軍用機を大きめ(異様に近く見える大きさ)に描いている。

日常の工夫をも軍事に役立たせようというオリジナルの意図と対極的に、軍事が日常を否応なく大きく占めていることを示唆している。

「陸鷲海鷲 ぼくらも続く」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p92)

オリジナルが飛行艇風の機体とそれを見上げる操縦士であるのに対し

  • 陸鷲: 一式戦闘機(隼) と
  • 海鷲: 零式艦上戦闘機二一型 を

読み札の順に上下に描いている。

「空の 青さは 神代から」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p94)

「つぎの日本 ぼくらが になふ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p94)

「そ」のオリジナルは空と山とトンビ? のみ。それに対し、蜻蛉の舞う空と電柱を背景にした帰宅途中の周作。

「つ」のオリジナルは軍人風の帽子をかぶった万歳する少年。それに対し、「空の 青さは 神代から」の続きと思われる、坂の途中で落ち合うすずと周作。すずは何か大きな包みを持っている。

周作の服装、背景の軍艦から、戦時中の風景であることがうかがわれる。

すずが持つ大きな包みはあるいは、小春橋デートから戦時下無月経症(※「第16回(19年9月)」にて触れた通り、それだけではなかったのだが)であることが判明するまでの間の、出産準備の何かなのかもしれない(単に次の「ね」の落下傘かもしれないが)。

「ねえさんが ぬふ 落下傘」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p94)

オリジナルは落下傘とそれにぶら下がる兵士であるのに対し、得意げにとても雑な縫い方で落下傘を縫うすずと、それをやや微妙な表情で微笑みながら見守る晴美が描かれている。

「第9回(19年5月)」で描かれたとおり、すずは隣組を通じて戦時体制維持装置の一つである大日本婦人会の末端に組み込まれており、落下傘を縫う仕事もそれを通じて下ろされてきたものと思われる。すずが知らず知らずのうちに体制を支える側にいたことを表現している。

「くはの光は 御國の光」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p95)

オリジナルから向きが180度回転してさらに輝きが描き加えられている。

有名な軍艦マーチの歌詞の二番の最後は「皇國(みくに)の光(ひかり)輝かせ」で締めくくられており、くは = すずの労働(「ぬ」ですずが「くは」で汗水勤労奉仕している)が戦時体制維持の一翼を担っていることを示唆している可能性がある。そして、広工廠歌を軍艦マーチの曲に乗せて歌っていた円太郎の退職金代わりは新品のクワ(くは)であった…

「英霊 しづまる 靖國神社」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p96)

オリジナルは靖國神社の参道に立つ大村益次郎の銅像に、鳥居、桜、広葉樹が背景としてあしらわれている。これに対し、ゲートルを巻いた男性と和装の女性。後ろ姿なので誰なのかは判らない。

そもそも英霊などと十把一絡げにしているくらいだから、誰でもいいと思われているのかもしれないな。

「櫻と散つた 小楠公」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p97)

オリジナルは図案化された朝日と屈曲した川の流れ。これに対し、桜吹雪の中を馬と行く武将の後ろ姿が描かれている。

図案化、抽象化され軍国主義の正当化に利用された英雄もまた、一人の具体的実在的な人間であったことが伺える。

  • そして(「第43回 水鳥の青葉(20年12月)」で触れた内容を踏まえれば)これは刈谷の後ろ姿でもあるのかも…
    • 刈谷の顔と髪型は、何となく小楠公の「公」の字に似ているし。
刈谷と「公」の字の関係
刈谷と「公」の字の関係

「出征家族へ お手傳ひ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p98)

オリジナルは鉢巻を締める女の子。これに対し、「第1回(18年12月)」で海苔摘みの手伝いをするすずのクローズアップが描かれている。

出征家族と明記されているので、草津の「森田の叔父さん」(すずの母キセノの弟)が出征していることが確認できる。

テル(と哲)

「寄せくる黒潮 海の子われら」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p93)

「正しい敬礼 正しい心」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p93)

オリジナルは、「よ」が舟を漕ぐ褌姿の男の子、「た」がお辞儀をする女の子。これに対し、すずが水原哲の手帳に描こうとした(実際は描けなかった)鷺が、波間を漂う水原哲を助ける様子が描かれている。

堺川に心中未遂した事を示唆しているのだろうか。

「松の色ます 大内山」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p96)

オリジナルがおよそ皇居とは思えない石垣と図案化された松であるのに対し、より写実的な皇居のお堀(二重橋と誤認されることの多い正門石橋)が描かれている。

お堀の水面に石橋が映る様子は、「第33回(20年6月)」下巻p40-41)の中段のコマが思い起こされる。

「今朝も 早起き 冷水摩擦」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p96)

オリジナルのように冷水摩擦をしようとするが水の冷たさを確認してしまう周作が描かれている。

テルがくくられて飛び込んだ堺川の水も冷たかっただろう。

「鐵 石炭 アルミ 飛行機 船 肥料」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p96)

オリジナルは日の丸を掲げた船の舳先とレシプロ機。これに対し、哲の乗船する青葉の全体像とその前を飛びすぎる鷺2羽が描かれている。

「鐵」と「哲」が同じ発音である。水原哲の名前の由来が「鐵」に関係することを示している。

リン

「炉端で 聞く 先祖の話」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p91)

オリジナルは炉端だけ

すずとイトとリンが揃う事は物語の線上ではあり得なかった事。しかも本当は、リン(座敷童子)が幼いすずと関わる事自体があり得なかったということが、後に「第41回 りんどうの秘密(20年10月)」下巻p108-109)、「第42回 晴れそめの径(20年11月)」下巻p116)で示唆される。

「朝日に かしは手」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p97)

オリジナルは雲間から姿を見せる朝日であるのに対し、雲のない空の下、瀬戸内海の島々の間から昇る朝日と、その光を浴びながら停泊している戦艦大和が描かれている。

「朝日」は二葉館のある朝日町。「かしはで」は古くは「膳夫」といい「宮中で食事をつかさどる人 / 食膳、或いはごちそう」を指す。「ヤマトホテル」と揶揄された戦艦大和艦内では、ラムネやアイスクリームも製造されていたという(下記記事を参照ありたい)。

「ひな段に ひとえだ 桃の花」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p98)

オリジナルは折り雛に桃の枝。これに対し、桃の枝を一折りするリンが描かれている。どちらにもひな段はない。

ひな段でスポットライトを浴びるような立場にはなりようもない、という意味合いだろうか。

晴美(と径子)

「『ハイ』で はじまる 御奉公」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p91)

女の子と回覧板だけのオリジナルに加えて、サンが描かれており、晴美の大きな声がいささかサンには大き過ぎる様子になっている。

回覧板を回す晴美は、「最終回 しあはせの手紙(21年1月)」のp145)右上のコマ「家の前の道すらすべては 踏みそびれ乍ら」で登場する。

「ぬぐふ汗水 勤労奉仕」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p92)

オリジナルが自ら汗をぬぐう少年とその背後で別の少年たちが土石を運搬している描写であるのに対し、「くは」で畑仕事に精を出すすずの汗を晴美がぬぐっている。

「鬼をも ひしぐ 桃太郎」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p95)

オリジナルは桃太郎の正面像のみで鬼はいない。この桃太郎は径子。「ひしぐ」は圧倒するという意味。「鬼いちゃん」をひしぐことができるのは彼女しかいない???

「富士を 仰いで 國民体操」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p96)

オリジナルは富士の頂上付近と手前の丘の一部のみ。これに対し、顔が仰向けなので定かではないが、そばかすと服装から晴美と久夫と思われる2人が富士を仰ぎ見ながら体操する様子が描かれている。

国策宣伝を目的とする「写真週報」創刊号(1938(昭和13)年)に、富士を仰ぎ見ながら体操する写真が掲載されている。この句の考案者の念頭にこの写真のイメージがあったのかもしれない。

なお

  • 「第27回(20年3月)」で触れた「愛国行進曲」の替え歌では、富士は大むくれで雲に隠れているのだが
  • 久夫が仰ぎ見ている富士は朝雲がかかっていて、これは替え歌でない「愛国行進曲」の歌詞を踏まえたものだ。
    • そうすると、教科書に替え歌を落書きしたのはアサヒ読本4年目の久夫ではなく、その前の持ち主なのかもしれないな。

「ことばは 正しく はつきりと」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p96)

オリジナルは少し大きめに口を開けている男の子。これに対し、径子がすずに説教している様子に加え、説教の擬音「クドクド」の一音一音に感嘆符が付されている。

「は」で晴美が大きな声ではっきりと「ハイ」と言っているのは径子の躾の賜物だろうか。

「君が代 歌ふ 朝の學校」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p97)

鳥が1羽少ないこと以外はオリジナルとほぼ同じ構図。

径子が晴美の手をひいていた描写としては最後になる下巻p30)のコマ「土いじって 体操する だけじゃろ」の背景。前頁の同じ位置の「ふ」に体操する晴美と久夫がいる。

「芽が出た 葉が出た ぼくらの畑」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p97)

オリジナルは芽と立て札であるが、立て札の代わりにすずと晴美が芽を見守っている。

二人が見守る「こまつな」には仕掛けがあるのだ。

久夫(と謎の義足の男性)

「るすを 守つて 勝ぬかう」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p92)

オリジナルが大八車に藁を積む少年であるのに対し、畳の上で正座する晴美の兄の久夫が描かれている。

留守というか、父を亡くしたばかり(※「第2回(19年2月)」参照)だというのに、さらに妹まで連れて母(径子)が去ってしまい、一人取り残されてしまった形の久夫の心情そのままの光景である。

このカルタの回において、久夫の登場枚数(9枚)は主人公であるすずのそれ(10枚)にほぼ匹敵する。本編中で描けない彼の心情が、この回では多く描かれている。

「をのの ひびきも 勇ましく」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p93)

オリジナルが斧と切り株だけであるのに対し、薪割りをする久夫とそれを背後で見守る右足が義足の男性が描かれている。

この義足の男性は久夫の親族ではないらしい(「第12回(19年7月)」参照のこと)が、さてそうすると、何の為にここに登場しているのか。

  • 考えられる役回りとしては
    • 「第27回(20年3月)」に届く久夫からの荷物(教科書)に添えられた手紙の代筆
    • あるいはその荷物の発送自体を、この義足の男性が行ったということなのかもしれない。
      • 手紙の文面からして、久夫が希望しても黒村家は賛同しそうにない内容であるし
      • 「第10回(19年6月)」同様祖父母の気持ちも慮りながらも、妹(晴美)も気遣う久夫を見兼ねて、ということなのだろう。

「わらぢで 鍛へた おぢいさん」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p93)

オリジナルがわらじだけであるのに対し、薪を背負った右足が義足の男性が久夫よりも速く歩いて行く様を描いている。

もし右手をなくしたすずが知多達とともに救助のトラックに乗っていたら、すずも作ったわらじを履いてこんな風に誰よりも速く歩き回っていたことだろう。足手まといなんかではなく。

「輝く胸の 傷痍記章」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p93)

やや右に傾けて輝きを描き加えていること以外は、オリジナルと同じ。「を」「わ」に登場する義足の男性のものだろうか。

手をなくしたすずに傷痍記章(が指し示すような名誉であるとかお金の支給であるとか)が与えられることはない。同じく戦争で傷つけられたにもかかわらず。

「仲よし 子どもの 隣組」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p94)

オリジナルが肩を組んでいる男の子2人と女の子であるのに対し、久夫が3人組の仲間に入れてもらおうとしている様子を描いている。

久夫も3人組もツギの当たった服装。

「ラッパで 進軍 兵隊ごつこ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p94)

オリジナルはラッパのみ

最後尾の久夫が一番背が高い。

「山の奥にも 鯉のぼり」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p95)

オリジナルは2匹の鯉のぼりだが、吹き流しが追加され、かつそれを遠くの方に置いて、木の上からそれを眺める久夫を描いている。

久夫が遠くから眺めていることから、この2匹の鯉のぼりは遠く離れた母と妹を思い起こさせているのかもしれない。

「ゆきも かへりも 列組んで」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p97)

オリジナルは女の子4人が縦に並んで登校もしくは下校する様子であるのに対し

  • 蟻の列
  • 久夫が一番最後に続く登下校いずれかの列
  • 鍋を持ち豆腐か何かの配給に並ぶ婦人の列

が描かれている。

すずのようにも見える婦人もいて、蟻との組み合わせは砂糖の回を思い起こさせる。

「先生に ほめられた 貯金箱」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p98)

オリジナルは貯金箱とそれにお金を入れようとする右手。これに対し、久夫が紙と鋏と糊で貯金箱を組み立てている様子が描かれている。

母と妹に会いに行く汽車賃を貯めようということだろう。


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  • 更新履歴
    • 2022/06/13 – v1.0
    • 2022/12/30 – v1.1(「副題の時期の表記が、他の副題に倣えば1月のところ正月となっている理由」を追記)
    • 2023/05/16 – v1.2(「るすを 守つて 勝ぬかう」に、久夫の心情そのままの光景である旨を追記)
    • 2023/06/06 – v1.3(「慰問袋に 手紙を 入れて」に、(読者が居る)悪夢が何であるかを説明した投稿の参照先を追記)
    • 2023/06/22 – v1.3.1(誤字修正)
    • 2023/10/31 – v1.4( “「愛國いろはかるた」を取り上げた、もう一つの理由” を追記)
    • 2023/11/01 – v1.4.1(リンク切れを差し替え、オリジナルの描写部分に下線を引くなど読み易さを改善)
    • 2024/05/20 – v1.5(「をのの ひびきも 勇ましく」に、義足の男性が登場する理由を追記)
    • 2024/05/23 – v1.5.1(「をのの ひびきも 勇ましく」の関連回のリンクを修正)
    • 2024/06/13 – v1.6(「櫻と散つた 小楠公」が刈谷の後ろ姿でもあることを追記)
    • 2024/07/19 – v1.7(刈谷と「公」の字の関係について追記)
    • 2024/12/11 – v1.8( “連載各話に付された年月に「昭和」とも「平成」とも書かれていないのはミス(誤植)じゃない” 旨追記)
    • 2024/12/13 – v1.9(「笑顔と 笑顔で 明るい職場」と「法事に来たる女学生 十七歳」の関係を追記)
    • 2025/01/02 – v1.9.1(「軍艦マーチの歌詞」のリンク切れを差し替え)
    • 2025/02/04 – v1.10(富士にかかる朝雲が「愛国行進曲」を踏まえていて、落書きしたのは久夫ではないかもしれない旨追記)
    • 2025/02/06 – v1.11(「Raising the Flag on Iwojima」を追加)
    • 2025/02/07 – v1.11.1(「愛國いろはかるた」の「オリジナル」についての情報を追加)
    • 2025/02/10 – v1.11.2(読み易さを改善)
    • 2025/02/11 – v1.12(「愛國いろはかるた」の句が一般公募である旨と、富士を仰ぎ見ながら体操する写真について追記)
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