当たり前のことですが
中段左のコマで、すずは炭をかまどから出して消火している
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p4)
直接かまどに水をかけたりはしていない。
p3)上段で「火の始末」として鉄瓶で水を注いでいるのはかまどではなく火鉢である。
炭は再利用も考慮して火消し壺に移して消すだろうから、これは火鉢の中の灰の上に残っていた燃え残りの炭のかけらか何かを消したかったのだろう。火鉢は(火鉢本体が熱くならないよう断熱材として)灰が敷き詰められているので、鉄瓶の水を多少注ぐ程度では割れない筈。
すずはトロいのではない
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p5)
警戒警報解除後にちゃっかり配給の列の2番目、3番目を確保する刈谷、知多と、3番目だったのに出遅れるすず。堂本にも遅れをとっているので、すずがトロいとか走るのが遅かったとかではなく、サンを支えて防空壕から連れ出すのに時間を要したからだろう。
なお配給に並んで刈谷の息子を見送るこの日は、前回の「第28回(20年4月)」花見の回と同じ笹柄の服なので、20年4月3日火曜と思われる。
こちらは当たり前ではない
「焼夷弾のなかま」
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p7)
実際のM69焼夷弾はこれらのどれでもない。つまり情報が古い。
なお
- エレクトロン焼夷弾と油脂焼夷弾の下に「砂やぬれムシロをかけて 水をかける。」とあるが、テルミット反応は高温かつ酸化鉄の還元反応なので酸素も不要、爆発する危険もあるので水をかけるのは禁忌。
- p4)で焼夷弾が落下したら敏速に消火にかかることになっているが、実際には1〜2秒で黒煙に包まれるので不可能と思われる。
体験した事がないのかあるいは非論理的精神論なのか…しかし我々は当時の事を全く笑えないのだ…
なお、映画「この世界の片隅に / この世界のさらにいくつもの片隅に」では「焼夷弾のなかま」は19年2月に登場する。20年4月のこの情報が、19年2月からアップデートされていない古い情報だと示すためあえて、なのだろうか…
すずが見た飛行機雲
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p10)
昭和20年4月7日に撃沈される大和をその前日に撮影することになるF-13(B-29の写真偵察型)の飛行機雲。
大人達は晴美を叱れる立場なのだろうか
敵機の標的にならぬやう 白壁は黒塗りする
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p8)
「第7回(19年4月)」上巻p112)で「そこら中まっ黒に するでしょうが あんたは」と晴美を叱っておきながら、自ら家に墨を塗る周作たち。斜め下のコマでは、晴美を叱った次の回に登場の火なしコンロが。
防空壕は堂本夫妻と共同利用
右上の防空壕、北條家の他2名
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p4)
堂本夫妻と思われる。
右下のコマで、晴美にいもの皮を剥いてやる径子
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p8)
堂本夫妻の姿も見える。一つ前のコマで火なしコンロから取り出している鍋の中でいもをふかしていたと思われる。p4)では生煮えだった経験が活かされている。
右上のコマで、すずの後ろに井戸のようなものが
こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p9)
庭先ではなく共同の井戸の隣で洗濯している。堂本夫妻も利用する防空壕への避難の邪魔になるからだろう。
- 更新履歴
- 2022/03/12 – v1.0
- 2022/05/17 – v1.1(映画「この世界の片隅に / この世界のさらにいくつもの片隅に」での「焼夷弾のなかま」の登場箇所について追記)
- 2022/12/11 – v1.2(「中段左のコマで、すずは炭をかまどから出して消火している」に説明を追記)
- 2023/03/13 – v1.2.1(「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/09/29 – v1.3(「焼夷弾のなかま」に、テルミット反応についての説明を追記)
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