径子の企み
「あとその お米は おみやげと ちがう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p90)
一定期間滞在する意図で径子がやって来た事が示されている。何の為の滞在なのかは「第10回(19年6月)」で明かされる仕掛け。
「すずさん わたしが やるよ」「わたしがやる 言うたら! あんたは 入っとり!!」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p94)
家事を担う立場をすずから取り上げて径子が自分の居場所を北條家に確保するために言っているのであって、すずの家事の手際が悪いからではない。「第9回(19年5月)」のアイロンがけのシーンではすずが手早く家事を進める様子が描かれている。
「おかげ様でもう この通り着物が 直せました」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p96)
「もうこの通り」とすずが自ら言っているように、径子が夕飯の支度をしている間に、すずはさっさと初経験と思われる着物の仕立て直しを(直し方はセオリー通りではないが)こなしている。
- しかもこの笹柄の着物は「第15回(19年9月)」ではよそ行きとなるなど「第32回(20年6月)」までしっかり活躍していて、出来栄えも良いようだ。
繰り返しになるが「第9回(19年5月)」でも描かれる様にすずは家事を手早く済ませることができるのであり、自己評価はともかくとして、実際のすずは「ぼーっと」はしていない。
「あんた広島へ 帰ったら?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p96)
径子の意図を正しく受け取れたのは、表情からして晴美だけ。
作者の企み
「黒村晴美です」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p93)
「第20回(19年11月)」中巻p69)「大声にて必ず先に挨拶し」を実践する晴美。「威圧感を与へませう」とはならないが、仲良くはできた。
そしてすずが晴美と出会ったこの日、彼女が作り直した自分の着物と、晴美に作ってあげた巾着は「第32回(20年6月)、第33回(20年6月)」に二人が身につけていたもの。
「お豆さん炒り よってん?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p90)
サンが使っている道具は、空炒りに使う素焼きの土鍋である「焙烙(ほうらく / ほうろく)」
「第10回(19年6月)」の「どこでも芽が出る」「こまつな」の種とは対照的に、炒った豆はもう芽が出ない。晴美のこの最初の台詞によって、晴美の行く末(「第33回(20年6月)」)を暗示しているのだろうか。
すずにも読者にも事情が判らない
「聞いてや お母ちゃん」「ほいでも 径子 もうちいと 話し合うて みにゃ…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p90, p93)
すずも(読者も)径子とサンの会話に耳をそばだてて事情を把握しようとしている。
この時点では嫁ぎ先の義理の両親との折り合いが悪いとは知らされていないので、夫との夫婦喧嘩であるかのように見える。径子の機嫌もとても悪そうだし。
「お? 径子と 晴美が 来とんか」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p95)
久夫が来ていない、という意味だが、この時点で読者(とすず)には久夫もキンヤもその存在を知らされていない。
「はい あげます」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p95)
すずは晴美が夫婦喧嘩に巻き込まれて気の毒だと思ったのだろう。それで少しでも喜んで貰おうと巾着を作ってあげた。
すずの思い遣りが込められたこの笹柄の巾着には、実は作者の思い遣りも込められているのだ(「第12回(19年7月)」で説明予定)。
- 持ち主の無事を祈るという意味では、次回「第6回(19年3月)」p99)で登場する千人針に、ちょっと似ているかもしれない。
- それでも、千人針を携えた多くの兵士もそうだったように「お豆さん炒り よってん?」が示唆する晴美の行く末は避けられなかった。
- 更新履歴
- 2022/02/23 – v1.0
- 2023/02/14 – v1.0.1(関係するリンクを追加)
- 2023/03/13 – v1.0.2(「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/04/26 – v1.1(「お豆さん炒り よってん?」を追記)
- 2023/05/18 – v1.2(巾着に作者の思い遣りが込められている旨追記)
- 2023/05/19 – v1.3(巾着と千人針の関係を追記)
- 2023/05/29 – v1.4(「おかげ様でもう この通り着物が 直せました」を追記)
コメント