仕掛けに気づかせるための仕掛け
椿とメジロはすずの筆入れを思い起こさせる
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p99)
「梅とメジロ」の仕掛けに気づかせるための仕掛け。
いろいろな意味で信じられない気持ちな浦野家
「さて じゃ 要一は こっちへ… / とりあえず 要一の席へ 置こうかね」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p100)
「こっち」は仏壇だろうか。軽過ぎる桐箱を持った後、席に置くことにしたのは何故だろう? 軽過ぎて要一の遺骨とは信じられないので、仏壇に安置することに抵抗があったのか。
中段左のコマで「かこ」と桐箱が当たるのはすずの頭
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p101)
下段左のコマですずが「軽……………」と呟くと皆が一斉に「じゃろ!?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p101)
皆が「そんな筈はない」と思い言い出せなかった事をあっさり言ってしまうすず。
左下から3段目のコマで、祖母のイトと母親のキセノは驚いていない風
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p104)
直系血族ということもあって、はじめから要一の死を信じていなかった、ということだろうか。
「冴えん石 じゃねぇ せめて こっちのツルツル のんにしとこうや」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p104)
脳みそ説を即座に否定。
「へんな石じゃ 帰った時 笑い話にもなりやせん」「ごもっとも」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p105)
すずの後ろに誰かいるようにもみえるが…
周作だけは「ごもっとも」と言っていない。浦野家の反応が普通でないことを、コマを右に90度回転させることで表現している。
すずはともかく、何故周作が参加しているのか
上段のコマで、めいめいが自分の関心事を話し、要一に関心を払っていない様子が描かれている
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p100)
誰も要一の戦死を実感していないことを表している。また、そもそもなぜ周作は、切符の確保も困難なこの時期に、義理の兄とはいえ会ったこともない要一の合同慰霊祭に、浦野家とともに参加したのか? すずと喧嘩させるには北條家の外に連れ出す必要があったからか?
「ご挨拶が 遅れまして すみません」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p100)
この場面で周作が会ったことがないのはイトだけ。イトに挨拶する目的ですずに同行したのだろうか?
皆が承知していて、すず(と読者)が知らない、もしくは気づいていないこと(そして周作が参加している理由)
「警戒警報は 鳴ったかいね」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p102)
慌てて退避壕に入る(ことで哲の母と一緒という状況が自然に実現できる)理由づけ。
右下のコマですずが要一の遺骨をわざわざ持ち出している
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p102)
勿論p103)ですずが蹴飛ばす伏線、なのであるが、すずも防空頭巾を被っていることから、単に勢いで持ち出したのではなく、一度置いてから改めて抱えて持ち出してきている筈である。浦野家の皆は退避壕がとても狭いことを知っているので誰も持ち出さなかったが、「へえ ここへ 掘ったんじゃね」という台詞からうかがえるとおりそれを知らないすずは(軽過ぎる)遺骨を持ち出している。恐らく、皆が要一の遺骨を置き去りにすることを訝りながら。
退避壕の蓋が波板1枚
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p102)
空襲に対しての有効性は疑わしいが、海苔養殖業で必要だった広い土地の真っ只中では、適当な斜面もなかったのかもしれない。
「はい 詰めて 詰めて」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p102)
本来は浦野十郎、キセノ、すみの3人用なので、大人7人でぎゅうぎゅう詰め。すずの背後、すみの左隣が水原哲の母親。当然互いの会話は丸聞こえ。
「それはそうと 哲があんたの住所を 聞いてきたが あんた 哲に 会うたかね」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p103)
「要一さん 残念な かったねえ」の直後であり、死んでいない自分の息子の話題は浦野家に気兼ねして普通は出さないところだが、それにもかかわらず、すずに会ったからには聞かないわけにはいかない理由があった。
それは、実家に戻らず幼馴染の嫁ぎ先を訪ねた息子が、すずの嫁ぎ先での立場を悪くしたのではないかということ。それを哲の母親は心配して聞いたのである(哲の母親は周作を知らないので、(浦野家の面々とは違い)周作には気兼ねすることなく)。
また、哲の母親はすずの住所を教えるために浦野家の誰かに聞いていると思われ、浦野家も哲がすずを訪ねた事は承知していた筈であり、「フツツカ」なすずを心配していたと思われる。あるいは周作の様子を見定めようとわざわざ招いたのかもしれない。
「………… ………… ………… ………」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p103)
周作に素の自分を「よそ者」扱いされたままのすずとしては、哲の手帳に書きたかった様に「来て呉れて嬉しかつた」とは答えられない。それは周作による「よそ者」扱いを受け入れることに等しい。周作がいなければ「会わなかった」と嘘をつくこともできたが、それもできない。
「………… ……ええ 会いました」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p103)
長い沈黙の末に
「立派に なっとりん さった 帝国海軍の 誇りじゃ 思いました」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p103)
幼馴染に対するというよりは、すず自身も組み込まれている戦時体制の末端的な(例えば刈谷さんの息子の出征を日の丸の小旗で見送る的な)言葉に聞こえる。しかし一方で、出征の見送りでは正直に残念そうな不満そうな表情を見せるのとは対照的に「来て呉れて嬉しかつた」ことを満面の笑みで哲の母親に伝え、哲の母親もそれに応えてこれ以上ないくらい満足そうな表情を見せている。すずのこのような表情はここだけ。
「えかったら大根 持って帰り」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p103)
息子の哲が迷惑をかけたと思っての側面もあるかもしれない。
図星を突かれると喧嘩になるのだな…
右上のコマで鉄兜を装着する周作
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p106)
この後の展開を予想しての防御態勢?
「ほんまは あん人と結婚 したかった くせに」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p106)
周作は自分がリンと結婚したかったので、それをそのまますずに投影して、すずも水原哲と結婚したかったに違いないと考えての発言。
「は!?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p106)
周作の指摘「ほんまは あん人と結婚 したかった くせに」が図星だったので、それを誤魔化すように怒りをさらに増すすず。
「降りる人が 居ろうが 注意力散漫は どっちな」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p106)
怒鳴るすずの右腕を引っ張る周作。すずの背後には、周作とすずの夫婦喧嘩を避けるように列車を降りる女性。
- 更新履歴
- 2022/03/10 – v1.0
- 2023/03/13 – v1.0.1(「次へ進む」のリンクを追加)
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