波のうさぎ(13年2月)

The view from Mt. Haigamine

好きな女の子に(思わず)乱暴する小学生男子

「すずちゃん かわいそう」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p39

りっちゃんは水原哲を怖がってはいないように見える。

「水原を見たら 全速力で逃げろと いう女子の掟」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p39

p46)「浦野の鬼いちゃんを 見たら全速力で 逃げろという男子の 掟」は本当に男子の間で言われているのかもしれないが、水原哲が他の女の子に乱暴する描写はないので、「水原を見たら 全速力で逃げろと いう女子の掟」はすずだけに当てはまるのかもしれない(水原哲が乱暴する女子はすずだけかもしれない)。

「よいよいらん事」するには相応しい日

「よいよ いらん事 するわ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p48

すずが代わりに絵を描いた事であるが、水原哲自身も「いらん事(コクバに椿を添えている)」をしていて、その結果として、すずの持つ(コクバと椿の入った)籠が、花束にも見えるように描かれている。

「うちの母ちゃんが おばちゃんに 何かお手伝い しましょうかいうて 伝えてくれと」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p38

この日は

  • 月曜
    • (※時間割が月曜)
    • (※ p39)「おとといも鉛筆 ここへ落としたのにーーー!!」の「おととい」は土曜日。ということで「昨日」である日曜日は学校が休みで鉛筆は必要なかった。)
  • かつ 水原哲の兄の四十九日の前
    • (※キセノの手伝い申し出から推定)

なので、昭和13年2月14日と思われるが、すずが絵を描き、水原哲が椿の花を添えてと互いに「よいよいらん事」するには相応しい日(バレンタインデー)かもしれない。

1938(昭和13)年2月
1938(昭和13)年2月

とはいえ、すれ違う初恋

「ほいでも 海軍の学校 通う途中に 海で溺れる アホよりゃ ましかものう」と「ああ ほんまじゃねえ」が紛らわしく被さっている

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p46

そもそもp45)「いまのんは どういう 意味?」は、p44)「うさぎが 跳ねよる」の意味を聞いたのではなく、亡き兄の鉛筆をくれたのはどういう意味かとすずは聞いたのだ。

  • しかし、水原哲は質問の趣旨に気づかなかったのか(はぐらかすほど器用でもあるまい…)うさぎの解説を始めてしまった。
  • 仕方がないのですずは半ば冗談で、鉛筆のお礼に兄をあげようと言ったのだが、水原哲が亡くなった兄を(悲しみを隠すためか)アホ呼ばわりしだしたので、すずはうさぎに話を戻そうとした。
  • で、ついでの思いつきで絵にも描いた。

その結果のすれ違いな会話。すれ違いな初恋。

  • つまり「ほいでも 海軍の学校 通う途中に 海で溺れる アホよりゃ ましかものう」と「ああ ほんまじゃねえ」をわざと紛らわしく被せているのは、読者に違和感を持たせることを通じて、このすれ違い(会話)に気づいて貰う為の仕掛け。

そんな初恋のすれ違いから偶然生まれた「波のうさぎ」の絵が評価されてしまい、p50)最後のコマのすずは複雑な気持ちなのだ。

  • ただ、もし「波のうさぎ」がすずの作品として提出されていたら、すずは(後程「第25回(20年2月)」で触れるある童謡詩人がそうであったように)女子という理由で優先度が落とされて、他の男子の絵が「市の大会に出品」されたかもしれず…
    • その場合、「第15回(19年9月)」で説明予定の、すずが就いていた職業も実現せず、ひいては北條家への嫁入りもなかったかもしれない。

「それ やるわ」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p44)

水原哲が、家に帰っていないのに兄の鉛筆を持っているということは、遊び用にすずのちびた鉛筆を無理矢理借りた時も、その兄の鉛筆は持っていたわけで。

つまり遊びに使うなどもってのほかと大事に持っていた筈の兄の鉛筆。それをすずにやると。

そのことの重大さを感じ取って「いまのんは どういう 意味?」とすずは聞いたのだ(結果は上記の通りの物凄いすれ違いっぷりだが…)。

さりげなく描かれる「格差」

「あっ お母ちゃん 二銭ちょうだい」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p35

下記「鉛筆の値段はどう変わったか」によれば、昭和10年で鉛筆1本3〜5銭。14年で5銭なので、小遣いの残りが3銭位あったのだろうか。

すずが不足分「だけ」キセノにねだったのは、単に浦野家の懐事情だけでなく

  • 彼女に対し「まだ」遠慮があったのかもしれない。
  • そしてキセノの方にも「まだ」すずに厳しくあたることに躊躇いがあったとすれば
    • 要一のp35)「来週のこづかい まで我慢せえや」は良い助け舟となったことだろう。
      • (※女性であるすずの望みを抑圧する「男性としての役回り」だけではない、ということ。被害者目線だけではなく、物事を多面的に見ることが大切なのだ。)
  • (※なぜ「まだ」なのかについては「冬の記憶(9年1月)」で説明予定)。
  • さらに、すずがねだるのが一銭でも三銭でもなく「二銭」なのには重大な意味があるのだが…それについては「第13回(19年8月)」で説明予定。

「こんどは落とさん ようにせんとね」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p38

すずや水原哲の履物はわらじだが、りっちゃんの履物はわらじではなく(鼻緒が藁ではない、やや高級そうな)草履で、りっちゃんがある程度裕福な家庭の子供であることが示唆されている。

「りっちゃん 女学校 いくんよね」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p40

履物の違いの他、背嚢(ランドセル)の有無、服装の違い、すずは女学校ではなく高等小学校へいくことを描写することで、すずの家庭の経済状態を示唆している。

しかしそれは、単に浦野家と他の家との経済格差を描写するだけなのではない。

仲の良いすずとすみ。2人にも見られる「格差」

筆入れの絵柄は何を意味するのか?

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p37

「梅に鶯」なら、取り合わせのよい二つのもの、よく似合って調和する二つのもののたとえ。仲のよい間柄のたとえ。

  • なので、すずとすみの仲の良さを象徴しているように思えるが…
  • これは実は、鶯と混同されがちなメジロ。

そう、これは何かが混同されていることを示しているのだ。

「あー すみは こっち お願いね」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p42

すみにキセノが言い付けるのは千人針。

  • すずとすみは仲が良く、海苔干しの手伝いなど常に行動をともにしていることから、すずを一人にして水原との出会いを演出するために。
  • そして、すずの初めての里帰りで、水原出征の際の千人針をすずがすみの代わりに刺した事をすみが(本当は水原が好きだったのではないかと)指摘する、その伏線に。

そんな仲の良い2人であるが…

すみは背嚢、すずは肩掛けバッグ2つ

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p36

すみ(この時尋常小学校5年生)の背嚢はすずのお下がりではなく、すみが元々持っていた(おそらくは尋常小学校入学時に買ってもらった)物。つまり、すみは尋常小学校入学時、背嚢(ランドセル)を買ってもらえるほど裕福だった。すずはそうではなかった。

頭巾は2人お揃いの柄なので、2人が一緒に暮らすようになってから作って貰ったのだろう。

また、すみの外套は上等そうだが丈がかなり短い。これも小さい時に買って貰った物を大切に着続けているからかもしれない。

(※これらが指し示すある重大な事実については「冬の記憶(9年1月)」で説明予定)。


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  • 更新履歴
    • 2022/02/09 – v1.0
    • 2022/05/12 – v1.1(すずが「いまのんは どういう 意味?」と聞いた理由の説明として「それ やるわ」を追記し、りっちゃんの草履について鼻緒が違う旨の記述も追記。)
    • 2023/02/07 – v1.2(「うちの母ちゃんが おばちゃんに 何かお手伝い しましょうかいうて 伝えてくれと」、「『ほいでも 海軍の学校 通う途中に 海で溺れる アホよりゃ ましかものう』と『ああ ほんまじゃねえ』が紛らわしく被さっている」の読み易さを改善。)
    • 2023/02/26 – v1.2.1(「あっ お母ちゃん 二銭ちょうだい」に、キセノへの遠慮があった旨追記)
    • 2023/03/13 – v1.2.2(「次へ進む」のリンクを追加)
    • 2023/03/28 – v1.2.3(「第15回(19年9月)」との関係を追記)
    • 2023/10/30 – v1.2.4(一銭でも三銭でもなく「二銭」なのには重大な意味がある旨追記)
    • 2024/03/12 – v1.2.5(キセノの方にも「まだ」すずに厳しくあたることに躊躇いがあった旨追記)
    • 2024/03/13 – v1.2.6(カレンダーを追加)
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