ヨメのギムならぬオットのギム?

「……なんですか?」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p20)

ゲートルを解いたりまた巻いたり、円太郎が気掛かりで心ここにあらずなのかと思いきや、脈絡もなく自分に迫ってくる周作の行動に戸惑うすずは、とりあえず周作をかわそうと「ありゃ 何の包み かね? と思うて…」と気にしてもいなかった周作持参の包みに言及した。

周作はリンのところに立ち寄っていて、何となくすずにも迫らなくてはと考えての行動なのだが、すずはそんな事知る由もないので、周作の行動が脈絡のない意味不明のものに見えるのは当然のこと。

「…おとうさんが 気になるんですね」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p21)

義父の円太郎が戻らないにもかかわらずさほど取り乱すこともない北條家の中で、「普通っぽい」言動をするすず。但しなぜか標準語である。おそらくすずにとってもこの「普通っぽい」言動には違和感があり(そもそも周作の行動に違和感があるから違和感のある普通っぽい発言しかできないのだが)、それ故に標準語になってしまったのだろう。

中段左のコマで、1つ前の中段右のコマで周作に握られた手を解こうとしている

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p22)

1つ前の中段右のコマよりすずの手が手前に引かれ、握りしめていた服の皺が少なくなっていることから判る。そして次のコマでは完全に振り払っている。次のコマでは周作の顔が迫っていたことが判る。

先にリンのところに行ってから(半ばギム的に)すずに迫る周作。それはヨメのギムならぬオットのギムなのか? 聡いすずは感づくのだ。意識下では「ふざけるなよ周作」という気分だろう。

すずの反撃(水原哲やテルのことも踏まえて)

「無理です 絶対無理」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p22)

自分より先にリンの所へ行った挙句に形だけ自分に迫った上、周作がすずを北條家の嫁として呼んだのに、すずをよそ者のまま残して居なくなってしまうと感じたすずは、なお「この家を守」ってほしいという身勝手な周作の依頼を一旦は拒否した。周作は驚きの表情を見せる。

「うそです」に続く「うちはあんたがすきです」が全部平仮名

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p23)

なのも興味深く(他の場面では「好き」と漢字表記が多い)。全くそうは思っていないということ。

「ほいでも三月も会わん かったら周作さんの顔を 忘れてしまうかも知れん」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p23)

「うちは あんたが すきです」とわざわざ言っておきながら、たった3月で顔を忘れると言うすず。水原哲は何年ぶりでも、様子が変わってもすぐに判るのに、随分とひどい言い方である。さらには「この家に居らんと 周作さんを見つけ られんかも知れん もん……」とダメ押しまでするすず。

とはいえ周作もすずを差し置いてまずリンのところに行っているわけで、そのことをすずは知らないとはいえ、これくらいは言ってやらないとね。

「この家を守って この家で待っとります」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p23)

全く自由な選択をしたのでは決してなく、外的要因によって「それしか選択肢がなく、余儀なくされている事」である北條家を守る事を続けることは、水原哲が青葉で国を守る事と同じく、たとえそれが理不尽な要請であったとしても、自分の「一貫性」を保つためには守り通す必要があるし、自分が関与してしまったテルの死のこともある。だから一旦は拒否したのに、顔を忘れてしまうなどというとってつけたような言い訳で前言を翻したのである。

テルの口紅をつけるのは

下段右のコマで周作の横顔を描くすず

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p24)

すずは広島に別れを告げる時、その絵を描いた。それまでの日常への別れのために絵を描くことがすずには必要だった。同じように、周作との三月の別れでも、絵を描いた。決して顔を忘れそうだからではない。同じページの上段に描かれているそれまでの周作との日常との別れだから、絵を描く必要がすずにはあったのである。対象への愛着度合いとは関係なく。

すずがカバンに帳面をしまって、代わりにテルの口紅を取り出す

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p25〜26)

影に変化がないことから、同じ時間で連続した動きであると思われる。

テルの口紅をつけるのは、リンに言われた字面通り空襲での死を覚悟したからではなく、「まあ 好きっちゃ 好き 知らん人っちゃ 知らん人たい」というテルの言葉、図らずも言い当てられたすずと周作との関係性を思い返してのことである。意識下ですずは、周作がすずよりもリンを優先していることにも気づいているわけで。

(すずがきっかけである)心中の巻き添えにされたテルがどういう気持ちで若い水兵を見送ったのか、似た立場に立たされたすずは、テルの口紅を使うことで間接的に追体験し、あるいはすず自身の心の中を見ることができるかもしれないと考えて。

「周作さんが 大きすぎるん じゃ………」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p27)

周作が偉大だとかそういう意味ではない。

絵を描いても、テルの口紅をつけても、周作が何を考えているのかは結局すずには判らなかった(すずよりもリンを優先する周作の振るまいは、読者の立場としても理解し難いが…)。

そんな風に、周作とすずが全くかみ合っていないというすずの認識が、大きさが違うという表現になっているというだけ。

あるいは大きすぎる生き物は足元の生き物の細かい動きに気付けないように、周作も(何が大切なのか)気付けていない、という意味合いもあるのかもしれない。

「途中まで一緒に 行こうや」

こうの史代(2009)『この世界の片隅に 下』双葉社. p27)

径子の勤め先は(モデルとなった寺は灰ヶ峰の中腹にあるのだが)第32回の扉絵では朝日遊廓よりもかなり先にある設定なので、彼女が同伴したことで、周作がリンの元に再び立ち寄ることが(多分)妨げられたことだろう。径子が気付いていたかどうかは判らないが。


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  • 更新履歴
    • 2022/03/15 – v1.0
    • 2022/05/15 – v1.1(「周作さんが 大きすぎるん じゃ………」「途中まで一緒に 行こうや」を追記。)

1 thought on “第31回(20年5月)

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