第14回(19年8月)

The view from Mt. Haigamine
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「第14回(19年8月)」について

見えない檻

遠くに山が見えるが、すずは灰ケ峰がどちらか判らない

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p19)

嫁いでから一度、半年前の里帰りの時にしか平地部まで降りた事がないから。

  • 実質的には長ノ木という名の「見えない檻」に閉じ込められているようなもの。
  • そして、閉じ込められている…というか隠れ家に潜むことを余儀なくされていたアンネ・フランクの日記の最後の日付は、この日、1944(昭和19)年8月1日であった。
    • そして、そのアンネ・フランクの日記は彼女の13回目の誕生日である1942(昭和17)年6月12日から始まっていて、1944(昭和19)年8月1日は、その781日後にあたる。
      • 第3回(19年2月)」で触れた通り「第1回(18年12月)」のすずと水原哲の再会が1943(昭和18)年12月12日であれば
      • その781日後は1946(昭和21)年1月31日となり、これは「第44回 人待ちの街(21年1月)」「最終回 しあはせの手紙(21年1月) 」と同じ月だ。
        • つまり『この世界の片隅に』の物語の長さは、アンネ・フランクの日記が記された期間とほぼ同じに揃えてある。
          • 『この世界の片隅に』連載時の実際の年の「平成」を「昭和」に読み替えると連載の年月に概ね一致するというよく知られた仕掛けは、すずが体感した時間経過を読者も体感できる、という趣向であるが、それだけでなく
          • アンネ・フランクの日記の長さ(それは殆ど、彼女が隠れ家に潜むことを余儀なくされていた期間でもある)をも、読者が体感できるようになっているのだ。

「ああ…… ……… みなさんに よろしう」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p22)
  • 前頁の最後のコマで「朝日遊廓内」の文字を見て
  • かつ、リンの「この町から 出たこともない」という発言から

すずは「みなさん」が遊廓で働く女性であることに気づく。

  • そして「よそ者じゃし / この町から 出たこともない」は、実はすず自身にも当て嵌まるのだ。

広島で流行った柄

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p22)

すずの「古いよそいき」の余りの布を、森田イトがリンの着物に縫い付けてやったもの。そう読者に思わせる効果がある台詞だが…

これは「大潮の頃(10年8月)」の「仕掛け」を読者に考えさせるきっかけであると同時に、(この時点では手がかりが十分示されていないこともあり)読者をも「思い込み」という思考の「檻」の中に閉じ込めている。

リンの境遇と教科書

「ここは 竜宮城か 何かかね !!!」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p21)

リンが無反応なのは、浦島太郎を知らないから。当時浦島太郎は教科書に載っていて、それで広まった。リンは半年しか小学校に通えていないので、それを読んでいないのだ。

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