第17回(19年10月)

The view from Mt. Haigamine
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「第17回(19年10月)」について

りんどう柄の茶碗

p46で柱の側にあるりんどう柄の茶碗がp45の同じ場所に「ない」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p45)

何かが登場する時にはその前にさり気なく存在を描き込んでいることが多い(例えばp46)のりんどう柄の茶碗の次のコマの周作の下駄のように)事からみても、この重要な品の存在が予め描かれていないのは不自然で作為的。

下段左のコマの左上に、周作の脱いだ下駄がある

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p46)

ので、この時点で布団を裏返しに屋根に登っている。

  • 同じコマで径子が紹介状を伯父から受け取っている。
  • 勿論次回「第18回(19年10月)」で径子が働きに出る(ことですずが一人で考える時間が持て、結果周作とリンとの関係に思い至る)伏線。

これだけ周到に様々な事柄が準備されているのに、りんどう柄の茶碗だけは不自然に突然登場(リン本人もだが)するのだ。

「わたしも知らん」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p47)

周作がおそらく1年前に買った筈の茶碗。

  • 径子は嫁いでいるから気づかないとして、サンは気づいていなかったのだろうか?
  • あるいは気づいていたが、話がリンの事に及ぶのであえて言わなかったのか?

「すずさんも お茶にし」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p47)

そんな風に気遣ってくれている(のだろう)姑がお茶を出しているのに無視するすず。

作者による仕掛けの数々

「子供達は 兵隊や嫁に行って」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p43)

北條家もそうである筈なのに。

前回「第16回(19年9月)」に引き続き、読者は誰もが疑問に思う。何故周作は戦地に行っていないのか?

「いわば物資の疎開です」

こうの史代(2008)『この世界の片隅に 中』双葉社. p44)

小林夫妻だけでなく、前頁で屋根裏に居たねずみも地下に避難している。

そして次のコマでは、物資の疎開ということで北條家を目指しリヤカーを引く小林夫妻。中沢啓治『はだしのゲン』第1巻に、主人公の中岡一家が

「いなかのしりあいで小林さんの家へ」

中沢啓治(2013、原著は1975)『はだしのゲン(1)青麦ゲン登場の巻』81版 汐文社. p163)

荷物を疎開させる描写がある(荷物を載せて引いているのはリヤカーではなく大八車だが)ので、これが小林の伯父 / 伯母の苗字の由来なのかもしれない。

Rear-Car Toei Uzumasa-0321

左: Lombroso, Public domain, via Wikimedia Commons

右: Fg2, Public domain, via Wikimedia Commons

左がリヤカー、右が大八車。

  • リヤカーは1921(大正10)年頃にサイドカーを参考に発明されたとのこと。
    • 既に量産されていた自転車の車輪を利用し
      • 左右の車輪を繋ぐ車軸を無くし左右別々に自由に動かせるようにすることで
        • (旋回時の回転差を吸収できることから)自由に旋回できる上
      • 車輪の軸よりも荷台の床を低く落とし込むことで
        • 荷物積載時の重心を低くすることが出来た。

このように画期的発明であったリヤカーであるが、「第43回 水鳥の青葉(20年12月)」では、知多 / 堂本 / 北條 / 刈谷 それぞれのバケツ4つに海水を満載、さらに服と交換した食料を積んで帰路についている。

  • 海水入りバケツを仮に10kgとしても40kg
  • 食料とリヤカー本体をあわせれば10kgは優にありそうだから
  • 合計50kg以上を引きながら、北條家迄の坂道を登り切ったということになる。

現代の道路事情では微妙な立ち位置であるらしいリヤカーだが、安全な積載量の目安は引き手の体重の半分程度だそうだ。50kgなら引き手の体重として100kg。刈谷とすずで丁度それくらいだろうから、無理のある積載量ということではないのかもしれない。

しかし平地ならばともかく、三ツ蔵の前から北條家の近辺まではほぼ一本調子の坂道である。高低差81mで距離1.1kmであるから勾配は7.36%(約4.2度)。4.2度というと緩やかに感じられるかもしれないが、それが休みなく1km以上続くとかなり堪える。

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