「第5回(19年3月)」について
径子の企み
「あとその お米は おみやげと ちがう」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p90)
一定期間滞在する意図で径子がやって来た事が示されている。何の為の滞在なのかは「第10回(19年6月)」で明かされる仕掛け。
「すずさん おつかい?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p94)
客間から台所へは、径子がサンと会話している居間を通らなければ行けない。
ということで、客間で仕立て直しをしていたすずが居間を通ったので、径子はすずが何か家事関係の用事を果たそうとしているのだと察知し、その役割を取り上げようと(サンとの会話を中断して)声をかけた。
「すずさん わたしが やるよ」「わたしがやる 言うたら! あんたは 入っとり!!」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p94)
家事を担う立場をすずから取り上げて径子が自分の居場所を北條家に確保するために言っているのであって、すずの家事の手際が悪いからではない。「第9回(19年5月)」のアイロンがけの場面ではすずが手早く家事を進める様子が描かれている。
「おかげ様でもう この通り着物が 直せました」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p96)
「もうこの通り」とすずが自ら言っているように、径子が夕飯の支度をしている間に、すずはさっさと初経験と思われる着物の仕立て直しを(直し方はセオリー通りではないが)こなしている。
- しかもこの笹柄の着物は「第15回(19年9月)」ではよそ行きとなるなど「第32回(20年6月)」までしっかり活躍していて、出来栄えも良いようだ。
繰り返しになるが「第9回(19年5月)」でも描かれる様にすずは家事を手早く済ませることができるのであり、自己評価はともかくとして、実際のすずは「ぼーっと」はしていない。
「あんた広島へ 帰ったら?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p96)
- 「…それがええ すずさん 帰りんさい」というサンの台詞のコマの晴美の表情や
- 次のコマで径子の意図と全く異なる反応をする面々(と引き攣った表情の径子)に呆れている晴美の表情で
径子の意図を正しく受け取れたのは晴美だけだと(読者と径子に)判るようになっている。
- これは、すずや北條家の皆の反応と径子の発言意図のすれ違いの滑稽さ、というオチに繋がるだけでなく、
- この「晴美は径子の意図を正確に受け取れていて、それを径子も理解している」というのが
- 「第11回(19年7月)」で触れる予定の、径子が晴美に後ろめたさを感じている事
- それは実は「第37回(20年8月)」で触れる予定の、径子が晴美の疎開をあっさり受け入れた理由でも、ある
- 「第11回(19年7月)」で触れる予定の、径子が晴美に後ろめたさを感じている事
- の前提となっているのだ。
- この「晴美は径子の意図を正確に受け取れていて、それを径子も理解している」というのが
作者の企み
「黒村晴美です」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p93)
「第20回(19年11月)」中巻p69)「大声にて必ず先に挨拶し」を実践する晴美。「威圧感を与へませう」とはならないが、仲良くはできた。
ここは晴美が初対面のすずに丁寧な挨拶をし、すずも妙に丁寧に挨拶を返すという印象的な場面になっている。
- このように印象的な場面を挿入しているのは
- 初対面なら先ずは名乗ったり名前を尋ねたりするものだと読者に意識させることで
- 「最終回 しあはせの手紙(21年1月) 」において
- すず達が孤児の少女の名前を尋ねる場面が敢えて描かれていない、という事に気づかせる為の仕掛けとなっているから。
- 初対面なら先ずは名乗ったり名前を尋ねたりするものだと読者に意識させることで
そしてすずが晴美と出会ったこの日、彼女が作り直した自分の着物と、晴美に作ってあげた巾着は「第32回(20年6月)、第33回(20年6月)」に二人が身につけていたもの。
「お豆さん炒り よってん?」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p90)
サンが使っている道具は、空炒りに使う素焼きの土鍋である「焙烙(ほうらく / ほうろく)」
「第10回(19年6月)」の「どこでも芽が出る」「こまつな」の種とは対照的に、炒った豆はもう芽が出ない。晴美のこの最初の台詞によって、晴美の行く末(「第33回(20年6月)」)を暗示しているのだろうか。
すずにも読者にも事情が判らない
「聞いてや お母ちゃん」「ほいでも 径子 もうちいと 話し合うて みにゃ…」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p90, p93)
すずも(読者も)径子とサンの会話に耳をそばだてて事情を把握しようとしている。
この時点では嫁ぎ先の義理の両親との折り合いが悪いとは知らされていないので、夫との夫婦喧嘩であるかのように見える。径子の機嫌もとても悪そうだし。
「お? 径子と 晴美が 来とんか」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p95)
(「第2回(19年2月)」で触れたように)すずと周作の祝言の際には連れてこれなかった晴美を連れてこれたのか、という円太郎の軽い驚きが見てとれる。
- 晴美を連れ出すことに成功したのだな、と
- 径子と黒村家との関係(話し合い)が進展している…そう理解して喜んでいるのだろう。
- そして円太郎は
- 長男を嫁が連れ戻ることは出来ないという当時の常識は理解しており
- 黒村家との関係性からは、径子が一時的にでも長男である久夫を連れ出すことなど出来ないとも理解しているので
- 久夫が来る筈はないのだから
- 「二人か」などと確認したりはしないだろう。
「第10回(19年6月)」で径子の離縁を聞いて、円太郎も皆とともに驚いているので、それが離縁に迄至るとはこの時点では予想していなかっただろうが…
「はい あげます」
こうの史代(2008)『この世界の片隅に 上』双葉社. p95)
すずは晴美が夫婦喧嘩に巻き込まれて気の毒だと思ったのだろう。それで少しでも喜んで貰おうと巾着を作ってあげた。
すずの思い遣りが込められたこの笹柄の巾着には、実は作者の思い遣りも込められているのだ(「第12回(19年7月)」で説明予定)。
- 持ち主の無事を祈るという意味では、次回「第6回(19年3月)」p99)で登場する千人針に、ちょっと似ているかもしれない。
- それでも、千人針を携えた多くの兵士もそうだったように「お豆さん炒り よってん?」が示唆する晴美の行く末は避けられなかった。
更新履歴
- 更新履歴
- 2022/02/23 – v1.0
- 2023/02/14 – v1.0.1(関係するリンクを追加)
- 2023/03/13 – v1.0.2(「次へ進む」のリンクを追加)
- 2023/04/26 – v1.1(「お豆さん炒り よってん?」を追記)
- 2023/05/18 – v1.2(巾着に作者の思い遣りが込められている旨追記)
- 2023/05/19 – v1.3(巾着と千人針の関係を追記)
- 2023/05/29 – v1.4(「おかげ様でもう この通り着物が 直せました」を追記)
- 2023/09/04 – v1.5(「あんた広島へ 帰ったら?」を「第11回(19年7月)」の内容を踏まえて加筆し、「すずさん おつかい?」を追記)
- 2025/06/14 – v1.5.1(目次を追加)
- 2025/06/18 – v1.6(「お? 径子と 晴美が 来とんか」を全部差し替え)
- 2025/06/19 – v1.7(久夫が来ないと円太郎は理解している旨追記)
- 2025/08/20 – v1.8(晴美とすずが丁寧に挨拶する場面が、「最終回 しあはせの手紙(21年1月) 」ですず達が孤児の少女の名前を尋ねる場面が敢えて描かれていない事に気づかせる為の仕掛けである旨を追記)
- 2025/08/26 – v1.8.1(誤字修正)
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